アカセニッキ(明瀬祐介日記)

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TV 所感

「平成ネット史(仮)」よりも広かったネットの世界。

投稿日:2019年1月4日 更新日:

■1月2日に日本放送協会で放映されていたTV番組
「平成ネット史(仮)」(「(仮)」が正式タイトル)の前篇を視たので、
その内容と感想を書く。
http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=17234
http://www4.nhk.or.jp/nethistory/

「平成年間のインターネットの進化の歴史を振り返る」というふれこみで、
恵俊彰、堀江貴文、落合陽一、ヒャダイン、眞鍋かをり、池田美優、宇野常寛
などが出演した。

 

■「平成ネット史」というよりは「ネット文化史」といった趣である。

懐かしい映像やエピソードがいろいろ出てくる。

ウィンドウズ95のデスクトップ機体と、そのデスクトップ画像。
モデム接続のピーヒャララという音。
テキストサイト「侍魂」の話題になり、
作者の「健」がインタヴュに答える。
「2ch」の閉鎖騒動とUNIX板の活躍、
「FLASH」の時代から、「歌ってみた」「初音ミク」へ…。

どれも私も、「少し」見たり読んだりしていたので、
非常に懐かしい。

が、面白がり、懐かしむ一方、
ちょっと醒めてしまう部分があった。

 

■この番組もそうだが、
「ネット文化史」を振り返ろうとすると、
概ね次の3層の歴史が語られる。

(1)PC、スマートフォンなどのハードウェアの進化、
ナローバンドからブロードバンドといった、インフラストラクチャの発達

(2)テキストサイト、「2ch」「mixi」「ニコニコ動画」「Twitter」…といった
プラットフォームの栄枯盛衰

(3)各テキストサイト、「FLASH」「歌ってみた」「初音ミク」などの
「ネット上の文化・流行」の変遷

この番組でもその3つが織り交ぜられながら回顧されている。
特にヘヴィユーザーだった、ヒャダインや眞鍋は、
(3)を強烈に懐かしく感じるようで、
その気持ちはよくわかる。

 

■しかし、(3)が熱く語られているとき、
私はちょっと飽きてしまっていた。
(以下は決して番組の作り手側を批判しているわけではないことに注意)

実は、眞鍋やヒャダインが(3)に熱中していた時代、
私はほとんど「横目に見ていた」だけだったのだ。
というわけでどうしても、
みんなの盛り上がりについていけないひがみが出る。

しかしこれは、おそらく、多くの人もそうだと思う。
(3)にも面白いコンテンツがたくさんあったのだと思うが、
大多数ネットユーザーは、わりと早期に始めた人であっても、
別に、みんながみんな、
「FLASH」や「歌ってみた」に嵌っていたわけではない。

 

■では、私たちはネットで何をしていたのか。

ネットで、野球やサッカーについて語っていた。
ネットで、TVドラマや漫画について調べていた。
ときにはネットで、政治や事件事故についての記事を読んでいた。

そう、(3)の流行はまぎれもなく「ネット上の流行」であり、
「本質的にネットから生まれたもの」だったけど、
大多数のネットユーザは、どちらかというとそうではなく、
「本質的には」ネットと関係ないもの、
それまでもあったもの、
社会的・文化的なことについて、
ネットを介して、語り、読み、調べ、見ていた。

(3)には出てこない物こそが、
ずっと「流行」であり、「人気コンテンツ」だった。

 

■「インターネットの発展によってTVの役割は小さくなった」
というように言われることがあるが、
それは違うと思う。

いつだって、みんな、ネット上で熱く語っていたが、
何について熱く語っていたかというと、
やはりメインは、リアル世界でリアルタイムで進行する物、
(つまりは「TV的な物」)についてだった。

ネットの一番の燃料は、今も昔も「TV的な物」だ。

「インターネットの発展によって、
みんな”TV的な物”についてネットで語るようになった」
という方が適切だろう。

 

■そんなことは、「平成ネット史(仮)」の
作り手も、視聴者もみんな百も承知だろう。

私が上述したような「流行」を
「ネット文化史」にまとめようとしたら、
それらは結局「平成後期の政治史」「経済史」「社会史」「文化史」…
になり、ネット史なんだか文化史なんだか分からない
ぼやけた物になってしまう。

だから、「ネット文化史」を作ろうとすると、
(3)をメインにせざるを得ない、
というのは分かる。

 

■しかし、しつこく繰り返すと、やっぱり、
(3)には出てこない物、
「リアル世界で、リアルタイムで進行する物」、
「TV的な物」こそが、
常に「ネット上の流行」の本流だ。
((3)の流行を貶めているわけではないことに注意)

FIFAワールドカップやオリムピック大会であり、
「白い巨塔」や「半沢直樹」であり、
「エンドレスエイト」や「シン・ゴジラ」だ。

それまでからあった、TVもスポーツも社会的事件も、
ネットとともに存在することを前提に生まれ、
連動して存在するようになった現在-。

「ネット史」が「政治史」「社会史」「文化史」…の一部となり、
「政治史」「社会史」「文化史」…も「ネット史」の一部となった。

これこそが「平成ネット史」における最大のトピックだろう。

(そして、そういった「ネット文化史」の外には
さらに別の「ネット史」、
料理にも買い物にも移動にも就職活動にも
ネットを当然のように使うようになり、
もちろん企業側もそれを前提も企業活動を行なうようになった-、
-というような、「ネット経済史」「ネット生活史」がある)

 

■というわけで何が言いたいのかというと、
こうして平成年間の終わりに、平成年間を振り返る企画が
たくさんできていることだし、
ひと昔前にネットの外で、リアル世界で起こった
ニュースやイベントや流行なんかに対する、
「ネットの反応」を集約した書籍やTV番組なんかが
あれば面白いのではないか。

ポジティヴで、笑えて、誰も不快にならない物だけでもよい、
たくさんコピペされた物、バズった物だけでかまわない。

オリムピック大会、FIFAワールドカップ、ワールドベイスボールクラスィック。
「篤姫」「家政婦のミタ」「マルモのおきて」。
「笑っていいとも」「紅白歌合戦」、
東北地方太平洋沖地震はじめ、数々の社会的事件、
そして今上天皇譲位…。

…これら、社会的なニュース・イベント・流行に関する、
ネットの反応、ネットの言説。

(昔だったら「2ch」、今だったら「Twitter」になるのだろうか)
それらをまとめた、集大成的な書籍かTV番組、あるいはウェブサイトは
できないだろうか

きっと、それらは今でもまだ笑え、そして私は涙を流すと思う。

平成31年1月4日(金)
明瀬祐介
acsusk@gmail.com
https://twitter.com/acsusk

-TV, 所感

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