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若者に愚行権を。されど、敗者には温情を。

投稿日:2018年9月1日 更新日:

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■現代日本社会で、「愚行権」は、すっかり認められない物になってしまった。

愚行権は耳慣れない言葉だが、要するに
「(他人に迷惑をかけない前提で)不幸になる権利」
と言うと分かりやすいだろう。

貧乏になろうが、体を壊そうが、本人の勝手である。

―と、言えるのだろうか。

 

■愚行権が認められなくなった理由は、至極もっともな物で、要するに
「当人が不幸になれば、間接的に他者にも迷惑がかかる」
ということに尽きる。
確かに破滅的な怪我や貧乏になった場合、当人だけではなく、補助がある。
それらは大概国民の税金や、それに似たもの(国民保険など)だから、
確かに「誰にも迷惑をかけていない」わけではない。

 

■しかし私は、それでもなお、
(直接他人に迷惑をかけていない限りにおいて)、
できるだけ各々の愚行を認める社会であってほしいと思う。
人が自分の人生を棒に振るのを、
「当人の勝手でしょ、好きにしろ」
と言える世の中であってほしいのだ。

そして、そいつが案の定失敗して税金から補助を受けることすら、
温かく見守る世の中であってほしい。

 

■理由のひとつは、
「人は誰でもいつ自分が愚行を犯すか分からない」
ということだ。
今賢明で慎重な人だって、明日も絶対に魔が刺さないとは言い切れない
(逆に若い頃阿呆だった者も、長ずればそれなりに慎重になる)。
たった一回の愚行で、人生は破滅する。
自分が愚行を犯した場合に備えて、あらかじめみんなの愚行を認めておいたほうがいいと思うのだ。

 

■第二は、他者の愚行のコストはそんな大した物じゃない、という点にある。
仮に一人が1000万円無駄にしたとしても、1億人で割れば10銭だ。
実際にはいろんな人がいろんな時期にいろんな形で少しずつ愚行を行ない、
それをその人たちも含めて皆で負担するわけで、そのくらいの負担はできるのではないか。

 

■第三には、誰かが人生を棒に振りそうな阿呆なことをしたおかげで、
いろいろ世の中楽しいこともあるし、発展してるんじゃないか、ということである。
例えば起業というのはだいたい愚行に終わるのだが、彼らのおかげで世の中は進歩している。
また、芸術活動で生計を立てようとするのだって、失敗する割合が高い。
しかしそういう人の中から希に面白いアートが出てくるわけである。
それらの成功者は愚行と呼ばれないわけだが、成功者と失敗者の間には、運の差もある。
陰にいる無数の敗者についても甘く見てあげることで、
若者が挑戦しやすい世の中をつくることは、いずれ社会にも返ってくるはずだ。。

 

■そして最大の理由は、
「人生を棒に振る権利だって認める世の中のほうが、まちがいなく万人にとって楽しい」
というところにある。
ここに根拠はないのだが、しかし、これは断言してしまいたい。
なぜならみなバカなのだから。

 

■そしてもう一つ。
誰もが基本的に怪我や貧乏をしたくないわけで、
この権利を認めたからと言って、みんなが積極的に愚行を犯していくようにはなるまい。

 

■くりかえしになるが、愚行権は、現在ではほとんど認められない権利になった。
圧倒的な大勢に対して、私が書いたところで何の抵抗にもなるまい。
しかしそれでも、少なくとも私だけは、他人の愚行を認めていこうと思う。

これからも、私は他人の愚行を、認め続けていく。

-所感

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