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名棋士兼名文家の鬱闘病記「うつ病九段」。

投稿日:2018年9月27日 更新日:

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■先崎学は、比較的広く名が知られている将棋棋士の一人だ。

棋士としての実績は、現在を切り取っても、棋歴全体を通じても、
まあ中ぐらいといったところだろうか。
(もちろん、「棋士の中で」の話である)

それでも、タイトルこそないものの、
一時は、将棋界の基幹棋戦「順位戦」で、
100人あまりの棋士のうちのトップ11人、A級にまで上り詰めた。

名棋士と呼んで差し支えあるまい。

■しかし先崎はむしろ、文筆業で名を成した。

先崎が内弟子として入門した師匠・米長邦雄。
その米長が、泥沼のごとき将棋で迎え撃つ、昭和の名棋士たち。
そして少年時代から続く、羽生善治と、
「羽生世代」と呼ばれるライバルたちとの、友情と切磋琢磨。
さらに羽生・羽生世代に続かんとする、若き俊英たち。

彼らが勝負に賭ける姿を描いた、
先崎のかっこよくて美しい文章は、
多くの将棋フアンに読まれ、また新たなフアンを生んできた。

(私なんぞ先崎が監修している
漫画「3月のライオン」の単行本を友人に借りては
その中の先崎コラムだけを読んでいた時期がある)

■数としてはそれほど多くないものの、
もちろん将棋の指南書も書いている。

とりわけ私としては、振り飛車を指し始めたころに読んだ、
「ホントに勝てる四間飛車」が想い出深い。

これこそは、それまでほぼ感覚のみで伝えられてきた概念 “捌き” を、
多くの者に “理屈で” 理解できるように書かれた名著であり、
(四間飛車という戦法自体の汎用性が高いこともあって、)
「級位者は、戦法書はこの一冊だけ読んでいればよい」(*)
とさえ思える一品だ。

(* というよりも、級位者はやはり戦法を絞ったうえで、
詰将棋や手筋で基礎的な力を高めた方が良い。
と、偉そうに言う自分はあまりしていないけど)

■その先崎の最新作が、「うつ病九段」である。
https://www.amazon.co.jp/dp/4163908935
タイトルから分かる通り、
これまでの先崎の将棋指南書とはもちろん、エッセイとも一線を画す物であり、
そしておそらく最も広く読まれるであろう本である。

■平成28年の終わりから29年初頭にかけての棋界に、
「コンピュータ不正使用疑惑」という話があった。

一般にはそれほど大きく報道されていなかったが、
この時期の棋界は、ただ単に人気が落ちるのとは異なる、
ちょうど「八百長問題」の時期の角界とか、
あるいは「黒い霧事件」の時のパ・リーグのような、
「これはちょっと立て直すのは無理だろう」
というような、 “詰んだ” 感じだった。

■谷川浩司が会長を辞任し、急遽後任となったのは佐藤康光。

佐藤は、TVなどで話す姿を視た人なら誰もが、
「物腰柔らかで、言葉遣いが丁寧な紳士」
と思うような上品な人だ。
私の父なんぞ、NHKで解説する佐藤を視て
アナウンサーだと勘違いしたほどである。

その佐藤が先崎と居酒屋に行き、

「やってられねえ」

と語気を荒らげ畳に仰向けに寝転ぶところから、本書ははじまる。

(*本筋とはあまり関係ないのだが、この場面が面白いので入れておく)

■そんな状況で、先崎は鬱病になる。
一度も休んだことがない将棋を、1年間休み、精神病院に入る。

棋士という、知力を武器にする特殊な職業の人物が鬱病になり、
病状や周囲の様子が本人の筆で語られるという点で、
非常に興味深い、と言ったら不謹慎か。

「うつ病の朝の辛さは筆舌に尽くしがたい。
あなたが思っている最高にどんよりした気分の十倍と言っていいだろう」
「のどが渇いているのに、キッチンへ行って水を飲むのもしんどいのである」

とりわけ堪えるのは、自分が人生をかけてきた将棋の棋力の劣化だろう。

棋士なら誰でも解けるであろう、7手の詰将棋すら解けなくなり、
入院先の看護師にすら苦戦する。
(尤も、実はその看護師が六段くらいあったのかもしれないが)

ようやく快復しつつある折、談笑している際、
談笑相手の写真が撮りたい記者に、
「そこをどいて」と合図を出された。
特に鬱病でもない私でも同様の仕打ちを受けたら
ちょっと荒れ、生涯記者を恨み続けるだろう。
帰宅後ソファを蹴飛ばして暴れたというのも無理はない。

そんな先崎が本当に稀有な周囲の人々に助けられ、何とか快復し、
棋士と復帰していく。

鬱病に対する世間の偏見を軽減するため、
闘病記を書き始める先崎の意気込みがかっこいい。

「将棋は、弱者、マイノリティーのためにあるゲームだと信じて生きてきた。
国籍、性別、身体的なことから一切公平なゲーム、それが将棋だ。
私は、その将棋のプロであることに誇りを持って生きてきた。」

■ニコニコ動画(と佐藤映像)は、たまに将棋のタイトル戦のPVを作っている。
多くの場合、対局者の棋士人生を振り返り、
インタビューを入れ、 半ば物語を “創作”する、というスタイルなのだが、
平成30年の名人戦のPVはこれまでにない形だった。

映像・写真に乗せ、先崎の文が、そのまま朗読されている。

https://embed.nicovideo.jp/watch/sm33035730/

先崎を知らない人は、おそらく先崎が快復途中の時期に書いたこの文で、
彼の快復ぶりと文豪ぶり、そして将棋への愛を感じてほしい。

名人戦はもう終わっちゃったけど。

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