アカセニッキ(明瀬祐介日記)

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所感

高校野球の球数制限に、”原理的には”、反対する。

投稿日:2018年10月25日 更新日:

■平成30年の夏は、高校野球が盛り上がった。
毎年のことだが今年も何試合も一人で投げる投手が現れ、
しかも今年は過去にない暑さだったため、
投球過多の問題が、いつにもましてクローズアップされた。

「高校野球に球数制限を設けるべきだ」
という意見は、かなり多数派になりつつあるようだ。

■さて、私はというと、
現状で球数制限を設けること自体はやむを得ない、と思うが、
同時に、球数制限など本来あるべきではない、と考えている。

球数制限がなくてもティーム側が球数を抑えるべきだし、
どうしても投げたい投手には投げさせていい、
という単純な理由からだ。

■実際の野球は団体競技なので話が難しいが、
分かりやすくするため、まず先に、個人競技で考えよう。

さて、個人競技の場合、極端な話、
1日1000球投げようが、100km走ろうが、
ピザを100個食おうが、サウナに何日も籠ろうが、
そんなん参加者の勝手である。

その結果参加者が怪我しようが病気になろうが死のうが苦しもうが、
あくまで参加者側が決める問題であり、
大会主催者側が制限する必要は、基本的にはない。

■団体競技の野球でも、”本来は”、同じ話のはずだ。
1日1000球投げようが、1万球投げようが、
試合前に100km走ろうが、寿司を100貫食おうが、
それらは”本来は”、”選手側””ティーム側”の自由ではないか。

■もちろん、現実の高校野球の場合、
ティーム・監督と選手の間には非対称な関係がある。
世の中には、ティームのために無理してしまう選手がいるし、
監督も、多くはそれを止めない。

だから”あくまで現実的な措置として”、
「球数制限を設けて、投球過多を防ごう」
というのは私も理解できるし、導入に反対ではない。

■だが、それは”あくまで現実的な措置として”
あるべき、あってもいい、というものだ。
“本来は”、そんなもの必要ないはずである。

監督は、選手に無理をさせない。

選手は、無理をしないよう、
自分の状態や意志を監督に告げることができる。

このような”自立した個人”どうしの関係こそ、
長期的には目指すべきであろう。

(*もちろん高校生は未成年なので、
監督の方がより大きな責任を持たなければならない)

■もちろん実際はこんな理想の状態になっておらず、
当面なりそうにもないことぐらい、
私にだって分かる。

が、考えてみればスポーツというのは、
団体競技であっても、何というかこういう、
「個人主義が成立している」
という建前で存在しているものだ。

ボクシングだってアメリカンフットボールだって、
マラソンだって登山だって、
そしてもちろん野球だって、
本気でやるのが健康にいいか悪いかといえば悪いし、
金が儲かるか減るかで言えば(期待値としては)減るし、
その時間の機会費用を考えればさらにマイナスは大きい。
少なくとも、スポーツをやることで
大怪我をしたり、大損をしたりする危険性は常にある。

しかし、
「そんなんやる側の勝手でしょ」
と言ってきたからスポーツがある。

いわば、スポーツは”愚行権”を前提にしているのだ。

■というわけで私は、繰り返すようだが、
“あくまで現実的な措置として”、
球数制限の導入には反対ではない。

が、仮に本当に”選手の意志”なのであれば、
1000球投げようが、1万球投げようが、
試合前にラーメンを20杯食おうが、
主催者側にとやかく言われる筋合いはない、
ということは改めて確認しておきたいし、
(実際に、何が”本当の選手の意志”かというのは難しい、
という問題はおいておいて)、

「球数制限こそ正義!球数制限を積極的に導入すべし!」
といい、
「上に球数を決めてもらおう!」
というのは、何というか
選手に対し、
お前が不幸にならないように、
おまえから投げる権利を奪っておいたから
というような傲慢さを感じる。

(話は変わるが、ついでに、労働規制について。
残業時間規制や最低賃金などは、
“あくまで現実的な措置としては”、必要だと思うけど、
理想は雇用者と労働者の主従に近い関係こそ解消すべきで、
自立した個人と企業との対等な関係こそ、あるべき姿だ。
「過労死するくらいなら仕事やめればいいじゃん」
「みんなが低賃金の単純労働作業やめれば
その仕事は自動化されるか、世の中からなくなる」
とする、堀江貴文の考え方は、基本的には正しい。
確かに”自立した個人”ならそうするんである。
いや、もちろん、”自立した個人”なんて
実際にはどこにもいないのだけれども)

(逆に無償で重労働したいやつが
趣味で重労働する自由も、”原理的には”あるはずだ)

■さて、球数制限というのは
日本の高校野球だけではなく、WBCにもある。
無制限に投球させることに、
選手たちが所属しているMLB球団側が反対した、とのことだ。
MLBプレイヤーはプロフェッショナル、
それもアメリカのプロフェッショナルなんだから、
球数制限なんかなくても、
「これ以上投げると悪影響あるし、
所属球団からも止められてるから、
俺は〇球以上は投げないよ」
と事前に監督に言っておけばいいだけだと思うのだが、
(あるいは所属球団が伝えてもよい)
やっぱりMLBプレイヤーと言えどもそうは言わず(言えず)、むしろ
「ここで肩が壊れてもいい!
俺はこのナショナルティームを優勝させるために投げる!!」
と言ってしまうのだろう。うーむ…。

■結論としては、
昭和の時代に高校野球部を体罰が嫌でさぼりまくり、
NPB入り後も春先の練習試合では一回もバットを振らず、
すべて見送りの三球三振をしてベンチに帰っていった、
落合博満とかいうおっさんの精神力は
やっぱりちょっと異常だった、ということで、
「みんなが落合みたいになれば球数制限なんて要らねえんだよ!!」
と、なんだかよくわからないことを言って、本稿を締めくくっておく。

(*ちなみに、これは完全に印象になるのだが、
やむをえず球数を制限するならば、
球数そのものを制限するよりも
“イニング数制限”の方が何となく野球の本質を変更しない感じがして、
私は好きである)

明瀬祐介
acsusk@gmail.com

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