アカセニッキ(明瀬祐介日記)

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TV 所感

“平成7年”の前後、子供の世界にもあった、ちょっと不連続な変化について。

投稿日:2018年12月17日 更新日:

■すべての時代区分は、こじつけである。

社会全体として時代がいつ変わったなどというのは
データ等で証拠を示すことはできないし、
結局は人それぞれ、見方によって変わる。

また、あるときを境に、時代にくっきりとしたラインがひかれている、
なんてことはなくて、
いつだって時代は徐々に、段々と変わっていく。

そんなことは承知の上で、
小さな、ごく小さな、時代区分の話をしたい。

実は、平成6年から平成8年くらいに、
日本全体の雰囲気のちょっとした転換点があった
と、前から思っているのだ。

 

■兵庫県南部地震と地下鉄サリン事件が起きた平成7年は
世紀末や「失われたx年」の本格的な開始の年として
よく知られている。

が、この話はそれとは直接関係ない。
もっと小さな変化、
子供にも分かる空気の変化のようなものが、
平成6年から平成8年くらいにかけて
ちょっとずつ起きていたような気がしないだろうか。

その前と後で、例えば
「”平成7年”以前」
「”平成7年”以後」
とでも分けて呼びたくなるような
不連続的な現象が、確かにあった、
と言ったら、信じてもらえるだろうか。

この程度の変化は珍しくはないと思うのだが、
あんまり語られないようなので書いておきたい。

以下は昭和61年1月生まれの私が、
子供のころに感じていた「雰囲気」である。
中には「違うよ」と感じられる部分があるかもしれない。

が、興味のある方はお読みいただければ幸いである。

 

■一番象徴的で分かりやすい、スポーツ選手を例に挙げると、
「”平成7年”以前」は貴乃花と三浦知良の時代で、
「”平成7年”以後」はイチローと中田英寿の時代だ
(そして、もう一人、
「”平成7年”以後」の象徴的な人物にドジャース野茂英雄がいる)

貴乃花は平成15年まで現役を続けたが、
人気のピークは平成6年の横綱昇進で、
強さのピークは平成8年の九州場所休場で、
それぞれ一段落していた。

三浦知良は今でも現役だけれども、
平成7年ころからJリーグ自体が当初の人気に陰りを見せ、
三浦もイタリアに渡り、
平成8年くらいからは三浦自身にも若干の衰えが見られるようになった。

三浦に代わるように台頭したのが中田英寿である。
中田が誰にでも知られるようになったのは、
平成8年のアトランタオリムピックスではなく、
平成9年のFIFAワールドカップアジア最終予選くらいからだと思うのだが、
すぐに、日本代表の象徴のような存在になった。

 

■平成6年のNPBのセントラルリーグは、
ジャイアンツとドラゴンズが完全に並んだまま最終戦を迎え、
勝った方が優勝の試合をすることになった。
この決戦の関東地区での視聴率は、四割八分八厘。
まさにそれまでの(「”平成7年”以前」の)
日本野球の最後にふさわしい「国民的行事」となった。
余勢をかってジャイアンツは日本選手権でもライオンズを下し、
長嶋茂雄は監督としてはじめて選手権優勝を飾る。

Jリーグができたあとも田舎の小学生の間で、
NPBは依然として憧れの対象だった。

だが、ご存知のように、この「平成7年」前後の時期には、
かなりジャイアンツ人気を相対化させる人物が現れる。

一人はイチローである。
平成6年に年間200安打を放ったこの男は、
平成7年にブルーウェーブを優勝させ、
平成8年に日本シリーズ優勝を果たし、
以後ずっと日本球界の顔であり続けた。
(ブルーウェーブはこの頃、全国的に好感度の高い球団になっていた)

そしてもう一人は野茂英雄だ。
すでに平成2年にバファローズでNPBデビューしていた野茂は、
平成7年にはMLBのLADに入団する。
これは野球界はもちろん、
他の競技や、スポーツ以外の世界の若者の考え方にも
影響を与えた、大げさに言えば、ちょっと革命的な出来事だった。

「”平成7年”以前」の子供たちは
「ヴェルディ川崎かジャイアンツ」を目指した
それが「”平成7年”以後」には徐々に、
「海外挑戦」とか「日本代表」のようなものを
目指すようになっていた。

(あと、この時期からK-1(平成8年ゴールデンタイム放送開始)や
PRIDE(平成9年開始。ヒクソングレイシー-高田延彦もそのとき)などがあり、
格闘技は「”平成7年”以後」の子供の話題の華だった)

(ちなみに「”平成7年”以前」、
アイルトンセナやナリタブライアンや辰吉丈一郎の名は
田舎の小学校低学年で、あまりTVを見ない家の私でも知っていた。
そのポジションがアンディフグやヒクソングレイシーになったのかもしれない)

(競馬人気のピークはオグリキャップの平成2年前後、
あるいはナリタブライアンの平成6年前後…
と思われがちだが、実は
競走単位での売り上げピークは平成8年の有馬記念で、
年間の売り上げのピークは平成9年だった。
なんというか、競馬界は平成10年くらいまで
「”平成7年”以前」的なノリがつづいていた感じがある。

平成8年は各GIの前には、本木雅弘と鶴田真由が
笑福亭鶴瓶や中村吉右衛門や山崎努とあれこれ言い争いをする、
という非常に豪華なCFが流れていた。
説明しがたいのだが、この優雅な感じが、
まさに「”平成7年”以前」なんだよな…)

(ちなみに私の世代は
ユニフォーム姿の長嶋茂雄を知る最後の世代だ。
巨人の試合はほぼすべて放映されていたし、
ニュースでもNPBはスポーツコーナーのほぼ一番手だった。
松井秀喜という、幾分古風な選手ももちろん人気があり、
クラスには巨人の話をする男子が数人はいた。
私はもちろんアンティ巨人だったけど、
そもそも「アンティ巨人」というのが巨人人気を前提とした、
かなり昭和的な存在である。
Jリーグができサッカー日本代表が強くなり、
野球界にイチローと野茂が現れて、
急に時代が変わったわけではないのだ)

 

■さて、当時の子供の話題と言えば何といってもゲームである。

これは「”平成7年”以前」はスーパーファミコン(スーファミ)の時代で、
「”平成7年”以後」はプレイステーション(平成6年発売)の時代と、
分かりやすい。(もちろん「ポケモン」もあった)。

実は、この、スーファミからプレステへの移行は
単なる世代交代・覇権交代ではなく、
一強から多極化という側面がある。

ファミコンとスーファミは当時の子供のゲームのシェアをほぼ独占していた。

売り上げで国内でも海外でも
プレステはスーファミを超えている。
が、プレステ時代の初期、国内にはサターンとロクヨンという
かなり強力なライヴァルがいたため、
スーファミからプレステ時代への移行は
子供の中で一種の「趣味の多様化」のような現象だった。

なんというか、「”平成7年”以前」の
スーファミの「子供シェア」「話題独占力」
というのは本当にすさまじいものだったのだ。
任天堂に限らず、そういう「子供独占」的な
ゲーム機がなくなったのが「”平成7年”以後」だ。
(今、どのゲーム機もスーファミほどの
「子供独占力」を持っていないだろう。
ある時代のプレステ2はスーファミに近いかそれ以上の
「子供シェア」を持っていたかもしれない。
私はすでに子供ではなかったので
その辺の雰囲気は分からないけど)

 

■「”平成7年”以前」の漫画界の中心は、
今と同じ「ジャンプ」で、
平成6年に650万部を超える部数を叩きだしている。

が、「幽☆遊☆白書」が平成6年に、
「ドラゴンボール」が平成7年に、
「スラムダンク」が平成8年に、
それぞれ連載終了して、やや人気を落とし、
平成9年に「はじめの一歩」や「金田一少年の事件簿」を擁する
「マガジン」に発行部数を抜かれるまでになる。

この時代、「ポケモン」とミニ四駆ブームがあり、
雑誌としては「コロコロ」が人気を博した。
(もちろん部数は「ジャンプ」には及ばないが)

「ジャンプ」と「コロコロ」では
「ジャンプ」の方が対象年齢は高く、
私たちの年齢も徐々に上がっているにもかかわらず、
ほんの一瞬ではあるがこの時代、
「「ジャンプ」をやめて「コロコロ」を読む」
という逆転現象が起きていたのだ。
(いや、私の周りだけかもしれない)

ちなみに、平成6年に「名探偵コナン」が始まり、
平成8年に藤子・F・不二雄が死去している。
あと、「ゴジラVS○○」のシリーズが平成7年末に終わった。
平成7年は「エヴァンゲリオン」の放送開始年でもあるけれども、
小学生で視ていたのはかなり早熟な子で、
私の周りにいるという話は聞かなかった。

 

■TVの世界に目を向けると、
「”平成7年”以前」お笑いビッグ3(タモリ、たけし、さんま)の時代で、
「”平成7年”以前」は木村拓哉の時代、SMAPの時代だ。
SPEEDや広末涼子の時代でもある

速水健朗の「1995年」によると、
平成7年こそ、バイク事故で休業していたビートたけしから、
ダウンタウンへの「政権移譲」が行われた年だという。
一方、「1990年代論」に所収されている近藤正高の文章によると、
「90年代に生まれた多くのタレントは、
先行世代に交代するまでには至らなかった」
という。

これはどちらも正しくて、
ダウンタウン人気は「平成7年」前後にピークを迎えたが、
そのまま永久に人気を維持、というわけにはいかなかった。
たけしもさんまもタモリも活躍が止まったわけではなく、
いまでもたくさんの番組に出演している。

しかし、例えば「ビッグ3」が「ビッグ3」と呼ばれ、
一緒に出ることは少なくなった。
たけしは出続けたが、「たけし軍団」は露出が減った。
おそらく、「ビッグ3」はポジションを代えた、
というべきだろう。

ダウンタウンと並び称されることが多いのは
とんねるずだが、こちらは完全に「”平成7年”以前」からの人だった。
ウッチャンナンチャンはどちらかというと「”平成7年”以後」だろうか。
実は私はこのあたりの空気はよくわからないので、
それぞれ判断されたい。

「”平成7年”以前」にはまだ小さかった私は、
SPEEDや広末に相当するのが誰だったのか分からない。
浅野ゆう子とか鈴木保奈美とか宮沢りえということになるのだろうか。

当時の小学校低学年としては、
「”平成7年”以前」の象徴的な存在として、
圧倒的な「小学生内視聴率」をたたき出した
TVドラマ「家なき子」(平成6年)が主演、
安達祐実を挙げたいのだが…。
(カレーのCFも可愛かった)

 

■そんなこんなで分けると、
リアルタイムで感じていた人は、
確かに「”平成7年”前後」で世の中の文化や風俗に、
ちょっと変化があったのかもしれないな、
という気がしてくるのではないだろうか。

(ちなみに無理やりまとめると
力の「”平成7年”以前」に対し、
技の「”平成7年”以後」という感じになる)。

さて、リアルタイムで小学生だった私は、
どちらも悪くないと思うけれど、
あえて今の気分でいえば「”平成7年”以前」の方が好きだ。

「”平成7年”以前」の時代に小学校低学年だった私は、
えらそうに語りながらも
実はほとんど「”平成7年”以前」を見ていない。
「”平成7年”以前」は、私のお兄さんやお姉さんたちの時代だ。

一方で、「”平成7年”以後」は、
私にとっては小学校高学年以降で、
だいぶ世の中のことが分かるようになった時期にあたる。

そして、次の明確な変化点がいつなのか分からないほど、
「”平成7年”以後」は長かった。
SMAPやイチローはほぼずっと人気者であり続けたし、
ポケモンもプレステも続編や後継機に順調に世代交代している。

物心ついてからというもの、私たちはずっと
「”平成7年”以後」を見続けていたのである。

そんな今日の眼からは、
スーファミとお笑いビッグ3と「ジャンプ」に夢中になる時代が
新鮮に見えてたまらない
「”平成7年”以前」が幸せに見えてならないのだ

そんな、何を言っているのか自分にもよく分からない
気持ちをいだく、平成30年の私である。

平成30年12月16日
明瀬祐介
acsusk@gmail.com

 

(以下、余談)

■Jリーグ設立当初のJリーガーは、「バカだった」。
もちろん本当にバカなわけではなく、
バカを演じていた。
中山雅史なんて根っから不真面目なやつなんだと思われていた。

中田英寿はそういうサッカー選手の印象を変えた。

普段は物静かで内向的だが、
口を開けば哲学的な言葉を話す、
(本当はどんな人だったのか知らないが)
中田はそれまでのサッカー選手のイメイヂを一新し、
それがサッカー選手、さらには日本のスポーツ選手の標準になった。

今、スポーツ選手たちは誰も初期のJリーグの選手のように
バカっぽい感じを出さない。
本田圭佑も長谷部誠も吉田麻也も、
大谷翔平も羽生結弦も、
皆真面目で賢そうに見える(実際真面目で賢い)。

私はどちらかというと、
Jリーグ初期の(一部の)(特にヴェルディの)選手たちの、
あのちゃらちゃらした感じが好きである。

 

■ダイゴと北川景子の結婚発表記者会見が
金屏風を立ててその前で行われたとき、
久々に見た、珍しいと口々に言われたが、
「”平成7年”以前」にはごく普通のことだった。
それどころか「芸能人の結婚披露宴生中継」という、
今日の感覚からはどう見てもまともではないTV番組が、
3割、4割といった異常な視聴率を誇っていたのだ。
(芸能人運動会なんてのもあった)

貴乃花はもちろん(角界でもあるし、)金屏風で婚約発表記者会見を行い
平成7年の河野景子との披露宴もゴールデンタイムに生中継された。
貴乃花という男は「”平成7年”以前」の
まさに最後の時代の大スタアだったのだ。

「”平成7年”以後」、この愚かな風習は
完全にではないがかなり下火になる。

堺雅人・菅野美穂とか、ヒロ・上戸彩とか、山本耕史・堀北真希とか、
近年も多くの人気カップルが誕生したが、
誰も結婚披露宴を中継しようなんて言い出さなかったし、
言っても断られただろう。

著名人の側には
「結婚式は家族と近しい人のための大切なもので、
TVで他人に見せるなんて恥ずかしい、おかしい」
という、いたって健全な意識を持つようになり、
視聴者も
「赤の他人の結婚式を視るほど暇じゃない」
と、正気を取り戻した。

この一点だけで、平成年間を通して日本人の
知的水準・文化水準がいかに向上し、美意識が洗練されたかが
分かるというものだ。

…などと、言ってたらなんか見たくなってきたな、
芸能人結婚披露宴。

 

■あとこれは、
知識層からも流行カルチャ層からもオタク層からも
絶対に無視されるので書いておきたい。
平成7年から平成8年にかけて、
NHK「大河ドラマ」が大ヒットし、
その後もしばらく人気をキープした

ということを-。

平成5年から6年まで「琉球の風」「炎立つ」「花の乱」と、
一風変わったテーマを題材にし、視聴率的には低迷していた「大河ドラマ」は、
平成7年に西田敏行、津川雅彦、中井貴一、石坂浩二、佐藤慶、江守徹、細川俊之、
そしてジェームス三木に池辺信一郎と、
いかにも「大河ドラマ」的なメムバーを集めて人気復活する。
関東地区の視聴率は2割6分4厘と、前作「花の乱」の2倍、
当時のTVドラマとしても高水準だった。

平成8年の「秀吉」の関東地区視聴率は3割4厘で、
それ以後の最大ヒット作となった作品だ。
竹中直人の秀吉や渡哲也の信長は
一般にもかなり話題になったと記憶しているのだが…。

その後の「毛利元就」「徳川慶喜」「元禄繚乱」だって
2割近い視聴率だった。
「朝ドラ」も、「伸び悩み」などといわれつつ、
ずっと2割以上の家庭が視ていた。

ずっとある程度人気があるから触れられないのか、
「おじさんとおばさんと年寄りしか視ない」
と思われているからなのか、
これらはどういうわけか「当時の流行・世相」的な物からは外されることが多い。

しかし、今日であればtwitterで
「大河」や「朝ドラ」を話題にして盛り上がっているであろう層、
ある程度若い層だって、
きっと当時「吉宗」や「秀吉」を視ていたはずなのだ、たぶん。

 

■速水健朗の「1995年」は,
平成7年の世相や流行について振り返った良書で、
小沢健二やダウンタウンに関しては学ぶことが多い。
が、いかにも知的で流行に敏感な人らしく、
例えばオールド大衆文化たる相撲などは
あまり見ないんだろうな、いうところも見受けられる。

「横綱を襲名した」とは普通言わないし、
「”若貴時代”を本格的に迎えるのが、この1995年のことである」
とあるが、成績を基準にするなら、「若貴時代」はなかった。
人気を基準にするなら、やはり平成6年ころがピークだ。

これと同じ認識は今日買った「Number」968・969合併号の
佐藤祥子の記事にも見られ、
(これもよい記事だが、)
「平成10年7月には若乃花に昇進。
史上初の兄弟横綱が誕生すると、大相撲ブームは最高潮に達する。」
とある。
が、平成9年に満員御礼連続記録が途絶え、
平成10年には「貴乃花洗脳騒動」があるなど、
その頃にはもう大相撲ブームなんて
影も形もなかったと思うのだが…。

-TV, 所感

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