アカセニッキ(明瀬祐介日記)

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所感

最後の関西文化人・堺屋太一と「失われた三〇年」の終わり。

投稿日:2019年2月13日 更新日:

■大学時代、どういうわけか
野口悠紀雄と堺屋太一をよく読んでいた。

野口では
「日本経済改造論」
「日本経済は本当に復活したのか」
「戦後日本経済史」、
堺屋では
「組織の盛衰」
「日本を創った十二人」
「歴史の使い方」
あたりが好きで、いずれも一般向けの書だが、
当時ほとんど本らしい本を読まなかった私の本棚では、
最も知的な部類に入るものだった。

■著書を読むと、
野口は科学技術とアメリカ体験、
それにヨーロッパ文学をベイスにしており、
精緻な反面、ややもすると
気取ったエリート東京人のイメイヂを受けるところがある。

一方、歴史、特に日本史をベイスにした堺屋は
直観的にわかりやすく、私は堺屋の方により親しみがもてた。

(ちなみに、そもそも堺屋を初めて見たのは、
子供の時に視ていた「堂々日本史」で、
そのときの柔和な関西弁の記憶もあった)

■そんな、異なるアプローチの野口と堺屋だが、
(大きく分けると)同じ認識に立っていたように思う。
(細かい点では異なる)

「工業化し、大量生産をうまくやった国が
覇権を握る時代はすでに過ぎ去り、
ソフトウェア、デザインやブランドで価値が決まる時代になる」

というコンセプトは、現在ほとんど共通認識になっていよう。

この考えを、野口と堺屋は早くも平成一桁時代の後半に、
日本の多くの準知識層にまで広めていた。

二人の著書は、
かつて「プロジェクトX」や「万物創世記」なんかを視て
「日本のモノづくりは世界一」
と妄信的に信じていた私を、
一転、グローバル化論者、規制緩和論者に変えたのだった。

■国土政策に関しては、
野口と堺屋には大きな差異がある。

おそらくアメリカと東京都内以外に
ほとんど住んだことがない野口は、
分権化(道州制?)推進論者ではあるが、
そもそも
「政府部門の仕事は必要最低限にとどめるべきだ」
というスタンスの持ち主であり、
「分権化を進めれば、”足による投票”で競争が進み、
自然と最適に近い形になる」
としていた。
首都機能移転を無駄の極みと
痛烈に批判していたことがある。

■その首都機能移転を推進していたのが堺屋だ。
近年の最大の悩みは、関西の没落であったという。

明治以降、戦後しばらくまでは
「東京と関西を車の両輪として
バランスを取って発展させていくのが望ましい」
という、公共部門やエリート層の意識があった。

(ついでに言うと、一般の人々の間にも、無意識に
「そういうもんだ」
という雰囲気があった。

(たとえば「ゴジラ」が東京を壊すなら、
「ゴジラの逆襲」では大阪を襲わせる-、
秋の天皇賞を東京で行うなら、
春の天皇賞は京都で開く-、というように)

が、いつしか関西は東京に水をあけられてしまう。

■そして、何より、
「関西文化人」ともいえる人脈がなくなった。

かつて、関西には、
司馬遼太郎、小松左京、高坂正堯に代表される、
関西にアイデンティティをもちながら
広く国民から親しまれ、尊敬される文化人がいた。

堺屋はそのほとんど最後の人物で、
後継はついに現れていない。

(出口治明、井上章一、八幡和郎、村田晃嗣と言った人たちは
まだ、前述の面々ほど国民から親しまれるまでには
至っていなかろう)

■よく知られている通り、野口と堺屋は、
実はキヤリアのスタート地点が一緒である。

昭和四三年に政府が募集した明治一〇〇年記念論文で、
最優秀を獲得したのが当時大蔵省の野口悠紀雄で、
第二席が通産省の池口小太郎、後の堺屋だったという。

そして、「明治一〇〇年」という国威発揚行事で
デビュを飾った堺屋と野口は、最後まで、
ともに、広い意味でのナショナリストだった。

もちろん国粋主義や差別主義は持っていない。
経済政策では、ともにグローバリストに分類されよう。

しかし、両者とも、
日本の復興を誇りに思い、
「激変する世界の中で、
どうすれば日本は生き残れるか、
日本人は豊かになれるか」
ということを強烈に考えていた。

■むろん、堺屋の数々の活動、提言に関しては
それぞれ賛否もあろう。

しかし、何はともあれ堺屋の予測の多くは的中し、
最大の予言「知価社会」は実現した。
そして日本を取り残したまま、世界は、
(「知価社会」を前提とする、)
さらに次の段階に進んでしまった感さえある。

堺屋も、そして一方の野口も、
平成年間「失われた三〇年」を通し、
(もちろん高度成長期やバブルとは異なる、)
「日本の栄光の時代」の実現を信じ、
そのための策を訴え続けた。

「日本の力はこんなものではない、
適切な政策さえとれば、
再び新しい繁栄を、豊かさを、
手に入れることができる」と-。

「失われた三〇年」とは、そんな風に
「日本の栄光の時代」の出現・再来を
目指してあがく時代だった。

今、そんな、「日本の栄光の時代」を
本気で目指すものは誰もいない。

堺屋は、その後期の代表作「平成三十年」の、
タイトルとされた時代を通り過ぎ、
その年に終わりに三回目の大阪万博開催が
決まったのを見届け、この世を去った。

「失われた三十年」は、ついに終焉しないまま、
「終焉させよう」という人々の意気さえ失った末、終焉する。

堺屋の死去で、私はそんな風に感じたのだ。

(ちなみに堺屋と野口は、
近年では平成二七年にNHKで放映された
「戦後70年 ニッポンの肖像」で隣席したが、
特にこれといったセッションがなく、
私は残念に思った覚えがある。
私は首都移転推進派だから、
堺屋には野口をシャイニングウィザードでもかけて
ぼこぼこにしてやってほしかったのだが。

もうこうなったら野口には、
自分の名付けた「一九四〇年体制」の終局まで見届けてほしい)

平成三一年二月一七日
明瀬祐介
acsusk@gmail.com

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