アカセニッキ(明瀬祐介日記)

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所感

デービッド・アトキンソン著「日本人の勝算」を読むが…。

投稿日:2019年2月24日 更新日:

■私は経済学では「新古典派」に属する。
別に学位も持っていない私が
「新古典派」を名乗るのは、
党員でもない自民党支持者が
「俺は麻生派だ」「僕は石破派だよ」
とか言うようなもので滑稽なのだが、
まあ新古典派だ。

しかもシカゴ学派だ。
シカゴ行ったことないけど。

つまり、新自由主義者である。
負け組だけど。

そんな私が、
デービッド・アトキンソン著
「日本人の勝算」
https://str.toyokeizai.net/books/9784492396469/
を読んだので、以下に内容の一部と、所感を書いておきたい。

(以下の私の文には経済学的な誤りもあると思うので
ぜひ遠慮なくご批判いただければありがたい)

■本書は、
「輸出がある企業が生産性が高い」
「企業規模が平均して大きい国の方が生産性が高い」
と、デイタをもって示しており、
「だから、国が企業統合促進のための政策を実行すべきだ」
「だから、国が輸出促進策をとるべきだ」
としている。
そして後述のように、
それは「最低賃金引上」という形で、
間接的に強制すべきである、と-。

さて、それは正しいのだろうか。

■かつて、昭和三〇年代後半に
「特定産業振興臨時措置法」
という案があった。
「産業振興法」または「特振法」と言われるものだ。

「主要産業については国主導で合併を進めていこう」
「自動車産業なんか、何社もあってもしょうがない。
ドイツのベンツ、BMW、VWを見習って
3社程度に統合しよう」

本書のアトキンソン案とはもちろんやり方は違い、
より直接的だが、企業の統合合併を促進している
という点で似ている。

さて、この特振法がどうなったのか。
本田宗一郎は「勝手に」車を作りはじめ、
潰される予定だったマツダも生き残り、
この案は最終的に廃案となった。

「そんな昔の話を-」
というかもしれない。
だが、この時代、今よりもはるかに
政府が産業に手を出すことに説得力があった。

人々が同じ生活をして、
同じ物を欲しがっていた時代。
大量生産の製造業、とりわけ重厚長大産業では
大企業の方が有利であるし、
目的もはっきりしているから、
公社のような形も有効だ。
(だから社会主義も生きていたし、
それには一定の説得力があった)

その昭和三〇年代後半ですら、
結果的になくなった産業振興法は、
「しなくてよかった」
とされている。

もしこのとき自動車産業が政府の手で統合されていれば、
日本の自動車産業の栄光はなかっただろう。

もちろん本書のアトキンソン案とはだいぶ異なる。
しかし後述するように、
これらには共通の点があると思う。

(ちなみにこの顛末は城山三郎により
「官僚たちの夏」として小説化されており、
主人公の風越信吾が特振法導入側の佐橋滋だ)

■輸出振興についても、
やり方は違うが同じことが言える。

平成一〇年代、
政府は為替介入で円安誘導をし、
輸出が増えた。

もちろんアトキンソンが本書で言っているのは
そういった旧タイプの輸出とは性質が異なる。

それにしても、
その平成一〇年代の輸出増加の結果、
日本がどうなったのか、
結果はやはり言うまでもあるまい。

繰り返しになるが、
これはもちろん本書で述べられている
「輸出振興」とは違う。
しかし、下記の点で、共通する私は思うのだ。

■「最低賃金を上げることで(まわりまわって)
強制的に企業規模を拡大させる、輸出させ、
その結果日本全体を元気にする」
というのは、だいぶ間接的だが
政府が
“大きい企業がよい”
“輸出企業がよい”
という予断を持って企業側に
“大きくなれ”
“輸出をせよ”
と働きかける
という点で、大げさに言えば、
社会主義的・計画経済的
ではないだろうか。

「輸出企業がよい」
「企業規模が大きいほうがいい」
というデイタがあるのは確かにその通りだ。

だが、筆者も認める通り、
どうしてそうなっているのかはよく分からない。
相関関係はあるが、因果関係は不明だ。

「最適な企業規模」
「輸出をするかしないか」
といったことについてはやはり、
「市場の中で各企業が各々、自社にとって最適な規模を求め、
スウィートスポットを見つけられた企業が生き残っていく」
「各企業が各々、自社にとって最適な戦略を探し、
その結果としてよい戦略を見つけられた企業が栄えていく」
という古典的なやり方がふさわしいのではないだろうか。

政府の役割は、あくまで自由で、無駄がなく、
正当な競争が行われるようにすることであるように、
私は思う。

(もちろん安全・健康・環境・公平性といったことに関する
ルールを作り、維持し、違反を防止し、罰していく、
という役割は減らすべきではなく、むしろ強めるべきだ。
また、市場の弱者が致命的な痛手を被らないように
保護する、再分配を行う、といった役割も強化すべきであろう)

■本書では、一例として、
どうしても生産性向上が難しい業種として、
美容院が挙げられている。

これは「統合」とか「輸出」では
改善するのが難しいのだが、
一律の最低賃金上昇が行われれば、
美容院は他の業種に比べ経営は苦しくなり、
短期的には厳しい業種となっていくだろう。

「規模の経済」「輸出促進」
の導入のしやすさ、効きやすさには差があるのだ。

スポーツの世界でも、
「全選手に同じように適用されるルール変更が
結果として一部の選手に有利に、一部の選手に不利に働く」
ということがよくあるように、
「最低賃金引上」も、全業種に適用されるルール変更であっても、
その影響は業種によって異なる。

同じように人々から必要とされるものであるのに、
「規模の経済」の効果が出やすいかどうか、といったことで
差が出てしまうのは私はフェアではないと感じるし、
国全体の産業構造を偏らせてしまわないだろうか。

■さて、そもそも私がこの本を読みはじめたのは、
けちをつけたかったからではない。

デービッド・アトキンソンという
人に惹かれたからである。

コラムは面白いし、日本への造詣も深い。

特に、いまだに
「日本は凄い」
というような自己陶酔に浸る部分がある日本人に対して、
問いかけた、この言葉が好きだ。
(https://toyokeizai.net/articles/-/148121)
(一部改行の位置や記号等を替えた)

「皆さんが学校でこんなに熱心に勉強して、
塾にも通って、
就職してからも毎日長い時間を会社で過ごし、
有給休暇もほとんど消化せず、
一所懸命働いているのに、
“生産性は世界第27位”と言われて、
悔しくないですか。

労働者1人、1時間あたりで計算すると、
イタリアやスペインすら下回ります。

“先進国最下位”の生産性と言われて、
悔しくないですか。

“ものづくり大国”を名乗りながら、
1人あたり輸出額は世界第44位と言われて、
悔しくないですか。

こんなにも教育水準が高い国で、
世界の科学技術を牽引するだけの潜在能力がありながら、
1人あたりのノーベル賞受賞数が
世界で第29位というのは、悔しくないですか。

私は、悔しいです。」

-決して誇張ではなく、
これを読むと、私は涙が出てくる。

私も悔しいし、
より多くの日本人に悔しがってほしいと思う。

しかしそのための復活の策が、
「大きい企業がよい」「輸出がよい」
といった予断に基づいた
「最低賃金上昇」かというと、
やはり疑問視せざるをえないのだ。

平成三一年二月二四日
明瀬祐介
acsusk@gmail.com
(上述の通り、誤りについては
どうか遠慮なくご指摘いただければ幸いである)

(以下、補足)

■著者は、平成一〇年にブリテン(連合王国)で
最低賃金を導入した際に
失業率が上がらなかったことを根拠に、
「最低賃金が上がっても失業は増えない」
と書いているのだが、どうだろうか。

経営者側から考えると、
最低賃金が上がった場合、
新たに人を雇うのが億劫になる、
というのは単純な事実だ。

例えばこの平成一〇年時分の
ブリテンの他の条件(景気とか)が
失業率の上昇に歯止めをかけた、
という見方はできないだろうか。

実際に存在するデイタを
決して無視したり軽視したりするわけではないが、
「一国の例だけでは何とも言えない」
というのが冷静な見方というものだろう。

実際、韓国が平成三〇年に最低賃金を上げて失敗した、
という例が出ており、
それについてはいろいろ原因や、
日本との違いも記述されている。

しかし、無限の側面がある一国の経済について、
「平成一〇年のブリテン経済と
平成三〇年の韓国経済、
平成三一年の日本経済に、
より近いのはどっち?!」
などという問題は、
所詮はアナロヂイであり、
論理的に厳密な答えが出せるものではない。
(どんなに数値デイタを出したとしても
その数値デイタの選び方に恣意性が出る)

(平成三一年四月追記)
■以上の私の議論では
かなり根拠薄弱に感じてしまうが、
「政府が経済の”あるべき姿”を
考えること自体が悪である」
というのは、
「新古典派」「新自由主義」の
「教義」「原理」「病理」
みたいなもので、
一種、社会全体の経験知にも
なっているとは思うのだが、
具体的かつ、反証可能な根拠を
出すのは容易ではない。

(これについての
統計的なデイタや数理的な証明もあろうし、
個人としては今後勉強していくつもりだが、
現在のところは出せない)

(令和元年七月追記)
■…と、たぶんに感覚的で、
説得力が薄い話に
なってしまった。

これは結局は
「中長期的に日本社会が
どういうモデルを目指すか、
どういう社会に自然と変化していくか
という見立ての違いなのだと思う。

私は人口減少があろうが何があろうが、
技術革新により、
「国民の大多数が、
週五日間、昼はずっと
それほど楽しくない仕事をして、
それによって給料をもらって生活する」
というモデル、
それによって経済全体が動く、というモデルは、

二〇年後には成り立たないと思っているし、
どうせその流れは変わらないのだから
それに抗うべきではない、
と考えている。

今だって、
「仕事」の何割かは
その人を雇うために存在する、
という部分があり、
本来は自動化できる。
(この話は長くなるのでまたいつか)

(「では、国民を食べさせていくために
政府はどうするか」
というのが今後の課題だ)

一方で著者アトキンソンは、
上記の
「国民大多数が週五日九時五時」
モデルが、
一〇年や二〇年というスパンでは
大きくは変わらず、
人口減少と技術革新があっても
そのモデルで社会を維持し、
経済を回すためには
どうしたらよいのか、
という観点から、
改善案を提示しているのだと思う。

こればかりは未来の話なので、
何が正しいのか誰にも分からない、
というの一番正しいのだが。

(令和元年八月追記)
上の文章は我ながら
分かりづらく、
具体例に触れて
もう少し分かりやすくしたやつがあるので、
もしよければそちらもご一読いただきたい。

-所感,

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