アカセニッキ(明瀬祐介日記)

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所感

僕にニュースは要らない。ニュース・ゼロの生活。

投稿日:2019年3月3日 更新日:

■最近、ニュース報道を視ないようにしている。

以前から、
TVのニュース番組は視ていなかったのだが、
「Yahoo!」オフィス版のトップペイヂは見ていたし、
また、NHKのデイタ放送からニュースを視ていた。
(このNHKデイタ放送が、
一応「真面目なニュース」を
短時間で、好きな時に知る方法として、
日本では最適だと思う)

が、今はそれらもほとんどやめている。

(どういうわけか、
それでもトップニュースくらいのニュースは、
不思議と入ってくる)

 

■まず、ニュースが自分の生活に
「役に立つ」「欠かせない」
ということがない。

世の中には日経平均の上下や
大企業の記者発表が
次の自分の仕事に直結する人もいるが
(しかし、実はそんなに多くないはずだ)、
こと私に限っては
「昨日の経済ニュースが今日の仕事に直結する」、
ような生活を送っていない。

 

■唯一例外と言えるのは防災・防犯情報である。
自分が災害や犯罪の被害に遭うと
もちろん自分は痛いし、
他の人・世の中にも迷惑をかけるから
気をつけるのに越したことはない。
そして、注意して対策
(というほどのことでもない)
を取れば、
被害に遭う可能性は確実に下げられる。

だから、台風や大雪の前や、
自分が遠出する際にはチェックするし、
普段から天気予報くらいは見ることにしよう。

防犯については、(近所でない限り)
ニュースを視て何か分かるというものではない。

 

■「ニュースを知ることは、
国民・市民の義務だ」
という意見はありえる。

「民主主義国家なのだから、
ニュースを知り、選挙などの際には
国や地域を良い方向に導くべきだ」と-。

私だって少しはよき国民でありたい
とは思っているけれど、
仮にそれを認めるにしても、
実際、選挙の際には三、四の点を
「自分の中での争点」として
投票せざるをえないわけで、
別に毎日ニュースを見る必要はないのではないか。

 

■あるいは、災害や事故の被害者・被災者に対して、
国民、市民として「心を寄せ」、
それをもたらしたのが誰か別の人間であれば
「義憤を感じる」
ということがある。

そういう「共感」や「義憤」が
悪いことだとは思わない。
むしろ、人間の美しい部分、かっこいい部分だと思う。

では、TVニュースなりネットニュースなりを見て
被害者に「心を寄せ」、
加害者に「義憤を感じる」、
そのときの私は美しく、かっこいいだろうか。

いや、そうではあるまい。
ニュースを視て被害者に「心を寄せ」、
加害者に「義憤を感じている」とき、
余人はともかく、
私はただ「刺激」を受けているだけだ。

もちろん「共感」や「義憤」から
実際の行動にうつり、
援けになろう、社会を変えよう
とする人は尊敬するが、
しかしそれはある程度「専業」にならなければ
できないものだろう。

私にはとてもできないことだ。

 

■以上に挙げたのは、ニュース報道に
まだしも意味がありそうな例、
「真面目な」ニュースである。

実際の「ニュース報道」の多くに、
上記ほどの価値はない。

役者の色恋沙汰であり、
スポーツ選手の騒動であり、
芸人の暴言であり、
東京の新名所であり、
新しいネットバズだ。

これらを見たり読んだりしたところで、
自分にも、周囲にも、社会にも
もちろん何らいい影響を与えないが、
現状、これらが
ニュースの八割を占めており、
TVでもウェブでも、
これらを見なければ
「真面目な」ニュースには
たどり着けないので、
そもそも触れないことにしてしまった。

 

■そしてもうひとつ、えらそうなことを言うと、
大志を抱く者に、ニュースを視ている暇はないのだ。

だからもしこれを読んでいる人の中に
「俺は大志を抱いているけど、
ニュースを視ているぜ」
という人がいれば、全力で止めておきたいし、
ついでに大志を抱いていない人にも、
同じように止めておきたい

別に私もこれと言った大志を
抱いているわけではなく
基本的にぐうたらな生活をしているだけだけど、
それでもなんていうか、部分的にでも、
「大志を抱いている人のような生活」
をしている方が、
普通に生活をする上でも
ましだと思う

すべての大事は小事からなる。
たとえ当面目指す大事がなかったとしても、
それでも小事を大事にしよう。
いつか大事になったときに
それが大事になるはずだ。

 

■「喜嶋先生の静かな世界」(森博嗣)という、
大好きな小説がある。
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000186402

主人公の大学生は、
理系大学院の研究室に入り、
はたからみると変人の「喜嶋先生」を師に、
ひたすら研究をする。

いかにも「青春」らしい、
スポーツや、多くの仲間と関わる活動ではない。
工学分野の中でも、実制作をするわけでもなく、
ただひたすら計算をする理論分野で、
その成果が世間を騒がしたり、
大金を手にしたりする、
ということもない。

それでも、その静かで、やや孤独な
研究への没頭が、
やはり「青春」としか言いようがない、
美しい、不思議な小説である。

その中のこんな二節を紹介して、本稿を終える。
(原文は非太字。改行は変えた)

「博士課程の三年間は、
研究上では山あり谷あり、挑戦と冒険の連続で、
それこそ息をつく暇もないほどだったけれど、
しかしそれは、喜嶋先生や僕が生きている
バーチャルな世界でのことであって、
僕たちの躰が生活している現実の世界では、
波風も立たず、大きな変化もこれといってなく、
毎日毎日がほとんど同じことの繰り返しだった。
僕には、もう曜日という概念が消えていて、
いつが日曜日なのか気づかないで過ごしてしまうし、
カレンダに書かれているのは
学会論文の締切日くらいだったけれど、
それ以前に、今日が何日なのかを、
いつも数秒間考えないと分からなかった。」

「テレビを見るようなこともなかった。
新聞ももちろん読む機会がない。
それでも、世界の情勢は周りから耳に入ってくる。
どこかの小国へ大国が攻め込んだ、
といった戦争の話。
それとも、どこかの空港で爆発があった話。
大地震で何千人もなくなった話。
それから、税率を上げるとか、下げるとか、
博覧会を誘致するとか、断念したとか、
政治献金、汚職、麻薬、暴力団、大事故、などなど、
もちろんまったく知らないというわけではない。
だけど、幸いにして、
僕に直接影響するような事件はなかったように思う。

毎日が平穏に、とても静かに過ぎていく。

時間が刻まれる音が聞こえそうなくらい、静かに。
(森博嗣「喜嶋先生の静かな世界」より)

これを読むとき、私はいつも自問するのだ。

平成三一年三月二日
明瀬祐介
acsusk@gmail.com

以下に追記を書いた。
「僕にニュースは要らない」追記。
http://acsusk.com/20190305-1/

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