アカセニッキ(明瀬祐介日記)

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所感

「普通の大学」の「体育会系」にいた人たち。

投稿日:2019年6月25日 更新日:

■世の中で「体育会系」という言葉は、
決して良くない意味で使われる。

要は「単純莫迦」であろう。
「気合」や「根性」で何でもできると信じており、
酒、もっとひどいのになると拳で解決する、
時代遅れのマッチョ主義者-。

そんな印象のついた言葉だ。

■あるいは、逆に、
良い意味でこの言葉が使われることもある。
「爽やか」とか「熱い」とか。

「いだてん」の「天狗倶楽部」のような連中である。
あるいはもっとスマートに、
加山雄三のような感じかもしれない。

■だが、いずれも(私からみると、)違うのだ、
もしかしたら世の中には
そういう「体育会系」がかつてはいたか、
今でもいるのかもしれない。

しかし、俺の知ってる、
「普通の大学」で、
「体育会系」
(および、「体育会系文化部」)
にいた人たちは、
ほぼすべて、
もっと理屈っぽく、
面倒くさく、
うじうじと悩み、
孤独にさいなまれ、
鬱々と日々を送るようなやつらだった。

■私自身は、大学の時、ほんの一瞬だが、
「体育会系」にいた時期があるという、程度だ。

しかし本当に一瞬で逃げだしたから、
もし私を知っている人がこの記事を読んだら、
「おまえが体育会を語るな」
と言うかもしれない。

あるいは、
当時住んでいた寮にも体育会の人が多かったし、
さらに「体育会系文化部」のことだって知っているけれど、
別にすべてを知っているわけではない。

いずれにしても、
私の時代の、
私の大学の、
私の周囲にいた人たちについてしか、
私は語れない。

以上を前提に、
以下では、「普通の大学」で、
「新歓の際に勧誘されて入部し、
在学中は一生懸命練習するけれど、
卒業したらその競技を(たまにしか)やらない」
というような、
「普通の体育会系」
「普通の体育会系文化部」
を念頭に置いている。

また、ここでいう「体育会系文化部」というのは、
大集団で、わりと伝統もある文化的活動を、
毎日のように練習する団体で、
要するに楽団とか、劇団とかを
想像していただければ結構
だ。

■さて、私が大学生だった平成十年代後半期、
「2ch」の「大学生活板」や「VIP」が最盛期だった。

そこに存在していたのは、
「俺たち=ぼっち」vs.「やつら=リア充」
の対決構造だ。
もう少し後の言葉で言うと、
「俺たち=陰キャ」vs.「やつら=陽キャ」=「ウェイ系」
になろう。

私はもちろん「陰キャ」だから、
「やつら=リア充」のすべてが妬ましかった。

もちろん、私が当時「リア充」
だと思っていた人々にも、
いろいろ悩みがあったんだろうな、
というのが今では分かるのだが、
当時の私は、
「どうせ”やつら=リア充”は
よろしくやってやがんだ、けっ」
と思っていたし、そんな「リア充」を、
匿名の「ぼっち」たちが腐すのを読んで
楽しんでいた。

■そんななかで、
いつも気になっていたことがある。

どうも、「俺たち=ぼっち」から見ると、
「体育会系」も「体育会系文化部」も、

「やつら=リア充」の側に属する人々だと
思われているようなのだ。

それを視て、
私はいつも画面にむなしく叫ぶ。

-違うんだよ!
「体育会系」や「体育会系文化部」は、

完全におまえら、
「俺たち=ぼっち」「陰キャ」の側なんだよ!

■昨日の記事では、
私の高校時代である平成一〇年代前半期、
「オタク」は蔑称で、隠れた存在だった、と書いた。
http://acsusk.com/20190624-1/

が、平成一〇年代後半の大学では、
高校と全く様相が違っている。

すでに「オタク」は、
それなりの勢力になっていた。
「ハルヒ」とか「らきすた」とか
「ゆっくりしていってね」とか
「そんな○○で大丈夫か」とか、
毎日大学のどこかで見たし、
「踊ってみた」とかをやる
サークルだってできつつあった。

そして何より、
彼らはネットに仲間がいた。
大学でも小さくない上、
ネットでは一大勢力である。

そのネットで、彼らは言う、
「俺たちぼっちは…」。

いや、ちょっとまて、
おまえら多数派やないか!

■まず、私の知っている
「体育会系」や「体育会系文化部」の人たちは、
(平均すると、)総じて友達が少なかった。

まず、そのクラブ以外の友人、
つまりクラスの友人というのが、
少なくなる場合というのがある。
何せ必然的にクラブでの時間が多くなり、
人間関係もそこが主になるからだ。

しかし、ではクラブ内の人と仲が良いか、
と言うと、決してそうでもない。
ずっと一緒にいるわけだから、
むしろ深刻なだってありうるし、
それが普通だろう。

だから、
「笑って話せる友達がいない(ゼロ)」
ということさえ、
「超レア」ではなかったのではないか。
(私がそうだ)

■そして、多くは鬱々としていた。
それなのに無理に笑っているところがある。

ただ、これは説明しても伝わらないだろうな、と思う。

私はその後、大学を卒業、会社に入り
いろいろいやなこともあったが、
それでもあの、アノミイ的というか、
モラトリアム的というか、
誰もが不安を感じている状態、
というのを経験したことがない。

だいたい「普通の大学」で、
「体育会系」とか「体育会系文化部」に来た人たちは、
ほぼみんな、「たまたま」入っただけである。
初心者だった人だっている。
生涯その競技・分野で生活するというのはごくごく少数派だ。
みんな、長期的には、
もっと別の目標があって大学に入った人たちである。

それなのに毎日夜まで練習しているのだ。

周りでは、本当のリア充が、
ダブルスクールをしだしている。
卒業旅行に行っている。
インターンシップをはじめている。
私の周りにはいなかったけど、
スタートアップをする人だっているだろう。

おそらく、心のどこかでは
思っていたのではないか。

「今、これをしていてよいのか」-。

ついでに言うと、私が会った
体育会系も体育会系文化部も、
どれもこれも、妙に理屈っぽかった。
「理屈じゃなくて情熱だ」
みたいなことを必ず言うのだ、理屈で。

一番近いのはあれである。
「四畳半神話大系」の主人公だ。

■上述した通り、
以上は、一面的である。
私が昔見た、というだけだ。
また、私の説明が下手で、
よく分からなかったと思う。

しかし、全国の「普通の大学」で、
「体育会系」
「体育会系文化部」
だった人の何割かには、
おそらく何パーセント分かを、
同意してもらえるのではないか。

「オタクでぼっち」
「陰キャオタク」
みたいなのは
何となくフォーマットになっているし、
彼ら自身の中にも、
そのキヤラを演じている人もいよう。

一方、冒頭にも書いた通り、
「体育会系」で連想されるのは、
「単純」とか「脳みそ筋肉」とか、
あるいは「爽やか」とか「熱い」、
せいぜい「ハードな練習」とかで、
「孤独」とか「憂鬱」なんてないかのような扱いだ

文化部も、
演劇なら「演劇青年」とか、
クラシック音楽なら「高尚な趣味」とか、
揶揄的なステレオタイプがある。

少なくともみんな、
「友達が多い」
「充実している」

と思われている

「大学体育会系の陰キャ性」
「大学文化部はぼっち」
なんて、
ネタになっているのすらほぼ視ない

「七帝柔道記」という小説は、
「普通の大学の、体育会系のぼっち具合」
を描いた、数少ない作品だ。
あそこまで行くと「普通」じゃなくなってしまうけど、
ただ、あそこまで行かなくても、
ああいう側面がちょっとはある、
という場合は多いのではないか。
https://www.kadokawa.co.jp/product/201112000149/

■というわけで、
実は可視化されていなかったかもしれないけれど、
あなたのとなりにいた(いる)、
「普通の大学」の
「体育会系」や
「体育会系文化部」の人たちは、
もしかすると、
あなたが思っている以上に、
理屈っぽくて、
面倒くさくて、
友達が少なく、孤独で、
日々鬱々としてたかもしれないんだよ、
ということを、
心の片隅に留めておいていただければ幸いである。

令和元年六月二十五日
明瀬祐介(あかせゆうすけ)
acsusk@gmail.com

-所感

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