アカセニッキ(明瀬祐介日記)

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所感

日本人にミドルネイムを!

投稿日:2019年6月27日 更新日:

■「センゴク」という、
戦国時代を描いた漫画がある。

いろいろと素晴らしい漫画なのだが、
なかでも素晴らしいのは、
既に多くの人が指摘している通り、
「苗字-通称/官職名-諱(いみな)」表記を
徹底したところだろう。

登場人物には絶対に
「織田信長」
とは言わせず、
「右大臣」
などと官職名で呼ばせているのだ。

表記も
「織田三郎信長」
「織田弾正忠信長」
などと表記することで、
リアルさを醸し出している。

「真田丸」も後半、
基本的に「信繁」とか「清正」ではなく
「真田源次郎」と「加藤修理介」と呼んでおり、
これを聞くたびに私は喜んでいた。

■さて、この、「源次郎」みたいなのを、
「通称」といい、
「信繁」みたいなのを「諱」(いみな)というらしい。
普通は「通称」、もしくは
役職名である「官職名」で呼んでいたのだ。
(ただし、官職名は本当の役職名ではない)

だから、それに沿って
「センゴク」や「真田丸」は
リアリティを出そうとしていたわけで、
その試みはじゅうぶん成功していたと言えよう。

■ところで、近代以前、
名前は本当に「通称」というか、
あだ名に近いものだったのではないかと思う。

おそらく昔は活動範囲も狭いし、
本人確認をしようと思っても
どうせ完全にはできなかっただろうから
「ナザレのイエス」とか、
「清水の次郎長」とか、
通じるように好き勝手に呼んでいたのだろう。

また、多くの国に、
「○○の息子」
という呼び名があった。
「太郎三郎」は、
もともとは「太郎の三男」だ。
海外でも「イワノビッチ」とか、
「ジョンソン」とか、
「マッカーサー」とかが、
もともとそう意味だった。

そして、多くの国に
「名前は代々受け継がれるものだ」
という感覚があった。

海外でも同じ名前に「Jr.」や「III」をつけて
受け継いでいく風習というのがあるし、
日本でも代々「○屋×兵衛」というのを受け継いでいた。

何より、
「名前は変わるものだ」
という意識もあり、
出世したり、変化があると、
名前を頻繁に替えていた。

名前は決して固有コードのようなものではなく、
好き勝手に名乗ったり呼ばれたりしてたのだ。

■一方「諱」の方が、
我々のイメイヂする名前に近い、本名だ。

もともとは「忌み名」であり、
生前呼ぶことはタブーであったらしい。
ファンタズィー物には、
「決して知られてはならない真の名」
のようなのが出てくるが、あんな感じか。
今でもこの名残は残っていて
天皇陛下の御名はほとんど呼ばれることがない。

女性も、(武家とかだと)男と大体似たように
「通称」と「本名」を持っており、
女子の本名なんて、
知られることすら許されない、
ほんとうに恥ずかしいことだったという。

今でいう、
「下着を見られる」
というような感じだろうか。
あれも不思議なもんで、
それ以上に露出が多い水着はOKな場合があって、
露出に比例するわけではないのが面白いのだが、
その話は関係がない。

■どうして名前を知られるのがまずいのか、
近代的な感覚だと分かりにくいが、
ヒントらしきものはある。

「千と千尋の神隠し」に、
「名前を替えられることで、支配されてしまう」
「名前を忘れることで、
自分の人格そのものを忘れてしまう」
というような設定があった。

近代的な感覚だと名前があろうが変わろうが、
その人はその人、というようなものなのだが、
例えばオウム真理教なんぞは、
やはり本名とは違う名前を持っていた。
実際、そのために彼らは
どんどん「オウム真理教」の一員に
なっていったのだろう。
(角田美代子も自分の「子供」とした別の家の子に、
別の名前を付け、支配していったらしい)

■さて、近代以前の通称・諱制は、
明治時代になくなってしまう。

おそらく、近代化の際、
それまで名前が替わったり、
名前を受け継いだりしていた点に
不便でもあったからだろう。

「名前は変えるもんじゃない!
基本一生固定だ!
(女は家に入ったときだけだ!)
代々つけるのも禁止だ!

できるだけ一対一対応を目指す!」
ということになったのだと思う。

人が、ずっと固定というか、
「生まれた人は死ぬまで同じ人!」
ということになったのが近代だ。

■これは管理側の理屈としては分かるのだが、
しかし別にミドルネイムは残しても
問題なかったのではないか。

海外先進国に実際それでやってる国もあるが、
何の問題もない。

いや、むしろミドルネイムがあった方が
同姓同名の確率は減るわけで、
管理上も区別がしやすかったはずだ。
取り違えとかだって何割か減ったかもしれないし。

だいたい明治政府は国際標準を目指したが、
それまでにあった、
ミドルネイムつきの名前の方が
ずうっとグロウバルスタンダードではないか。

■ところで、「センゴク」や「真田丸」が
通称・官職名を用いたのは、
リアルさの追求に加えて、
もちろんもうひとつの理由がある。

「○○・××・△△!」
という呼び名は、
すごく中二心をくすぐるんである。


「モンキー・D・ルフィ」とか、
やっぱり格好良いのだ、
「D」が。

「三国志」のキヤラクターだって
(間違いだと分かっていながらも、)
つい「関羽翼徳」とか、
「諸葛亮孔明」とか呼びたくなってしまう。

日本の人名だって、
「明智光秀」よりも「明智十兵衛光秀」、
「山県昌景」よりも「山県三郎兵衛昌景」
の方が中二的には絶対に格好良く、
だからこそ、
「センゴク」も「真田丸」もこれを多用し、
読者・視聴者の愉しみとなっていたわけだ。

■ちなみに、藤子不二雄も、ソロ活動をする際、
もともとはおしりにイニシャルをつけた
「まるA」と「まるB」に別れる予定で、
実際Aの方は「藤子不二雄A」(まるA)になっている。

が、Fだけは、石ノ森章太郎の
「外国人みたいでかっこいいぞ」
という一言で、「藤子・F・不二雄」になったらしい。
このあたりの石ノ森とFのセンスはさすがである。

■今更言ってもしょうがないのだが、
実は私はこの、明治以前の
「名字-通称-緯」制の復活を画策している

昔でいう通称っぽい、
「大介」とか「清史朗」みたいな名前の人は、
あらたに緯をつけ、
緯っぽい「明」さんや「さとし」さんは
通称を新たに付けるわけだ。

同様に、女性もふたつ名前があると素敵ではないか。

言うまでもなく私は
「十兵衛」とか「秀景」とかを選ぶだろう。
(名家でもなんでもない私が
「名字-通称-緯」とか名乗れるというのが、
すでに近代の発想なのだが)

もちろん現代では、
「”兵衛”とか”郎”とかだといや」
「”秀政”とか”義光”とかだせえ」
という人も多かろうし、
そういう人はハイカラな名前をつければよい。
過去には、「桜井マッハ速人」もいたし、
「山本”KID”徳郁」もいた。
こういうのを普通に戸籍名にしてしまえばよいのだ。
香港では英名を名乗っているが、
それでもよいではないか。

■というわけで毎度ながら
特にオチはないのだが、
毎回選挙の際に、
「カワウソの再導入」
「旧国名の復活」
と合わせて、
「諱・通称制の復活」
「ミドルネイムの設置」を
マニフェストに謳う政党が現れれば、
俺は熱烈に支持する予定である。

令和元年六月二十七日
明瀬祐介
acsusk@gmail.com

(つけたし)
■あるいは前近代に立ち返り、
名前をどんどん替えられることにしても
面白いのではないか。
そもそもマイナンバーやビッグデイタがあれば、
管理には困らないはずだ。
どうせすでに当局や大企業は、
市民を「完全に補足」している、
という感じだろう。
名前くらい頻繁に替えられても
いいではないか。

■「individual」はラティン語で
「分けられない」という意味で、
昔からあった言葉だが、昔、
「Aと言う人はずっとAだ!
分けることも
合わさることも
変わることもできん!」
という意識は薄かったのかもしれない。

ちなみに平野啓一郎は個人に替わる、
「vidual」=「分人」
という概念を提唱し、
遠い未来にはそんな感じになっているのかもしれない。

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