アカセニッキ(明瀬祐介日記)

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所感

「ゆとり教育」だと試験は難しくなる。

投稿日:2019年7月10日 更新日:

■一昔前に、
平成五年と平成二十四年の
大学入試センター試験の
数学の問題を比べ、
明らかに平成二十四年の方が
長く、難問になっている、
という指摘が流行ったことがある。
https://examist.jp/legendexam/1993-center/

「こんなのすらまともに解けなかったカスが
“ゆとりwww”
とか言ってんだぜ」
と-。

確かにその通りで、
「ゆとり教育」を受けた人の方が、
遥かに難しい試験を受けている


だから「ゆとり教育」はだめなのだ


ここで私が述べたいのは
どちらの世代がより優秀とか、
難しい問題を解いていたとか
いうことではない。
(そもそも実際に平成日本であった
いわゆる「ゆとり教育」だけが
対象ではない)

ただ、
「”ゆとり教育”
のような制度には、
構造的な問題がある」
という話だ。

■そもそも、
数学学習というのは、
より多く、より広くの
「概念」を学んでいく、
というステップだ。

最初、数と言えば
自然数だけだったのだが、
分数、小数、負の数、無理数、複素数と、
徐々に数の「概念」が拡大していった。

そして、
実際の数が書かれた、
「定数式」という概念しかなかったところに、
「文字式」という「概念」を導入し、
それを使って
「変数」「未知数」を扱うようになる。

それによって、
それまでずっと「恒等式」をつないでいく、
という作業をしていた人が、
「方程式」という「概念」を学び、
それを使うことができるようになる。

そんな風に、
三角関数、微分積分、ヴェクター、行列、微分方程式…と、
新しい「概念」を学んでいく。

それぞれ有用でかつ面白いが、
次の「概念」へのステップにもなっている。

それが数学学習だ。

■ところが
「ゆとり教育」は教える「概念」を減らした
それによって「ゆとり」を増やそうとしたわけだ。
が、ちょっと考えれば分かるように、
それをやっても決して「ゆとり」は増えない。
(実際、冒頭のように、試験は難しくなった)

まず、使う「概念」が少ないからといって
必ずしも試験が簡単になるわけではない。
少ない「概念」の中でも
いくらだって複雑で、
容易に解けない問題を作ることは可能だ。

もっと単純に、
時間当たり問題数を増やせば無限に
「難しい試験」ができる。

仮に試験が簡単なままでいたとしても、
競争であるから、
「みんなが96点だから、
98点を取れなければ合格できない」
というような構造ができるだけだ。
(このような「ノーミス対決」は、
精神を消耗しがちである)

「ゆとり教育」になると、
試験は難しくなるのだ


(なお、平成五年と平成二十四年の
センター試験だけを比べると、
出題されている「概念」自体も
平成二十四年の方が難しい。
[logが出てくる]
が、実際には受験生は
この年出題されなかった
概念も勉強して
試験に臨んでいるわけで、
比べるなら試験vs.試験ではなく、
カリキュラムを比べるべきである。

それを措いても
確かに難化はしているのだが、
そもそも私は
「ゆとり世代」がどうだとか、
どちらが良い教育を受けていたとか
いう話をしたいわけではない)

■つまりゆとり教育は
受験生と問題制作者に
「縛りプレイ」をさせたわけだ。
簡単な「概念」のみを使った
複雑な問題を作らせ、
その訓練をさせた。

いまさらながら、
この「ゆとり教育」の構造は、
極めていびつだったと思う。

そもそも
「上限を規制することによって
みんな幸せになる」
という発想が、極めて統制的・官僚的だ。
そして、上記の試験問題が
明らかに難しくなっていることからわかるように、
「ゆとり」はまったく生み出せず
失敗している。

まあ世の中そんなもんで、
もし本当に「ゆとり」を増やしたいなら、
「競争」という構造に
メスを入れなきゃいかんのだが、
それをせんで
「”概念”だけを減らせばゆとるだろ」
と考えても、
上述のような結果になるに決まっていよう。

■そもそも、
「基本的な概念の複雑な問題を勉強する」
「高度な概念の簡単な問題を勉強する」
だと、後者の方が有意義だ。

いくら、
「基本的な概念の複雑な問題」
を解けたからといって、
それはその先で役に立つか、
というと微妙だ。
その場合にしか
使えないテクニックである場合が多く、
その「複雑な問題の解法」は、
次の課程を習いはじめると、
永久に出てこない。

一方で、新しい「概念」は、
その後、確実に役に立つ。
さらに次の「概念」を学べるからだ。
仮に10桁の掛け算が暗算できたとしても、
「文字式」という概念が分からなければ、
永久に方程式は勉強できない。

さらに、
「早く解く」
「ミスなしで取る」
という争いに至っては、
もはや「数学」ではなく、
「数学」を使ったゲイムの訓練である。

そのゲイムの訓練が
ある程度必要な場合はあるのだが、
限度がある。
そのゲイムを、
多くの人々にさせるよりは、
もっと高度な概念について、
どんなもんかということだけでも、
より多くの人々が知るほうがどれだけよいか。

■さて、ここで述べたのは
「大学入試」についてだが、
実をいうと、「大学入試」はまだましだ。

実際、「詰込み教育」時代の数学も、
「ゆとり教育」時代の数学も
私なんぞにはかなり難しく、
「ま、まあ今日は
これくらいで勘弁しといたるわ」
と言って逃げ出すレヴェルである。

が、さらにこの
「使っていい概念を少なく限定し、
そのために問題が複雑になり、
競争が厳しいまま」
という「縛りプレイ」現象が
激化している分野がある。

その「使っていい概念」のラインが、
「試験を受ける人たちの能力の、
はるかに下にある」
ためだ。

それが
「中学入試」
「受験算数」
である。

それについては、
またいつか書いてみたい。

令和元年七月一〇日
明瀬祐介(あかせゆうすけ)
acsusk@gmail.com
https://twitter.com/acsusk/


(七月十一日作成)
受験算数ってまじで無意味な代物だよな。
https://acsusk.com/20190711-1-sansuu/

-所感

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