アカセニッキ(明瀬祐介日記)

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「にでもエリート」という不幸。

投稿日:2019年7月14日 更新日:

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■かつて、「でもしか教師」という
言葉があった。
「教師に”でも”なるか」
「教師に”しか”なれない」
と言って教師になる人のことだ。
教師が狭き門となって、
かつ年々激務になり、
それが知れ渡ったことで、
今ではそんな人は
ほとんどいなくなったと聞く。


■これは僻みだと思っていただいて
別にかまわないのだが、
そして、口に出して言わないだけで、
誰でも知っていることなのだが、
日本には「にでもエリート」と言うべき層が、
一定の割合でいる。

「××大学にでも行くか
医者にでもなるか
官僚にでもなるか
研究者にでもなるか
(「修士課程にでも行くか
博士課程にでも行くか」)
大企業にでも入るか」と、
(多くは言葉には出さないまでも)
心のどこかで考えて、
○○になろうとし、
(その過程ではたくさん勉強して、)
実際○○になれてしまう、
「にでも○○」たちだ。

もちろん、実際の医者も官僚も研究者も、
ほとんどはやる気があって
その道に進んだ人である。
で、それ以外の「にでもエリート」は、
というと、存在することは間違いない。
が、統計を取ったわけではないので、
何%なのかは分からない。

昔は
「にでも陸軍士官学校」
だったのかもしれないし、
そのうち「にでもベンチャー」
になるのかもしれない。


■それでも彼らが
「報酬と社会的地位がよくて、
非常に満足している」とか、
「あとでやりがいが見つかった。
結果的に天職だった」
と言うのであれば、何の問題もない
よいことだ。

しかし、「にでもエリート」の、
さらに何割かには、
やっぱりちょっと仕事が楽しくはない人も
いるだろう。

「キヤリア形成に成功した人」に、
それほど多く会ったことはないのだが、
数少ない例からひとつだけ試金石をあげるとすれば、
何がやりたいかはっきりしているかどうか
だと思う。

ちなみにこの「にでも〇○大学生」の
ひとつのコースが、
先にその存在を指摘した、
体育会系陰キャ」だ。

「普通の大学」の「体育会系」にいた人たち。
https://acsusk.com/20190625-1/


■私は先週長々と
下記のようなことを書いた。

「ゆとり教育」だと試験は難しくなる。
https://acsusk.com/20190710-1-yutori/

受験算数ってまじで無意味な代物だよな。
https://acsusk.com/20190711-1-sansuu/

学校は部活だけやってくれりゃいいんだよ!
https://acsusk.com/20190712-1-bukatsu/

学校とか全部単位制・通信制でいいんだよ!
https://acsusk.com/20190713-1-gakkou/

この動機はいろいろあるが、ひとつには、
不幸な「にでもエリート」の発生を
できれば少し減らせれば、
ということにあった。

もちろん日本以外のどこの国にも
「にでもエリート」はいるだろうし、
どんな制度でも0にはならないが
制度によって減らすことは可能だ。


■仮に、私が主張した通り、
「小学校から大学基礎課程まで、
全部検定試験制にせい」
ということが実現されたとする。

現在、小学校から大学までの「入試」で
行なわれていた選抜競争は、
今の学校制度で言えば、
「大学の研究室配属」
「大学の専攻配属」
に近いところで行われることになろう。

さすがにそのレヴェルの
専門家要請コースになると、
「本当にやりたい人」
に近くなるのではないか。

現状のように、
「○○学園中学」とか、
「○○大学×学部」とかを
選抜の登竜門にすると、
「何にでもなれる」ので、
「何にもなりたくない」人が
入ってしまうのだ。
それでは「にでもエリート」になる
可能性が高い。

また、
(あらかた一般教養をマスターしたうえで)
十八歳で研究室配属、
ということにすれば、
向いていないと気付いても
二十歳前後でやり直しがきく。
キヤリアの再スタートは早いほうが良い。


■ちなみに私は
「にでも大学生」で、
しかも「でもしか大学生」だったが、
ひいこらいいながら勉強してようやく、
という感じであったし、
その後は別にみんなが羨むような
エリート職にはついていない。

つまり私は、
「でもしか似非エリート」であり、
我ながら上記の文章は
まったく信憑性に欠けている。
ぜひ本当の「にでもエリート」を
知っている人からの、
信憑性のある発言があればうれしい。

令和元年七月十四日
明瀬祐介(あかせゆうすけ)
acsusk@gmail.com
https://twitter.com/acsusk/


(つけたり)
■下記は以前にも紹介した、
藤沢数希という人のブログだが、
結局は「にでもエリート」の不幸である。

私は藤沢とは異なり、エリートのほとんどは
「にでもエリート」ではないと思っているし、
「にでもエリート」であっても、
結果幸せになればまったく問題ないと思っている。
が、「不幸な”にでもエリート”」が存在する、
という点には同意するし、
特に近しい知り合いがいるわけでもない私よりも
このブログの方が信憑性があろう。
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51655722.html
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/52016451.html
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/52016451.html
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/52016514.html
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/52016519.html

-所感

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