アカセニッキ(明瀬祐介日記)

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所感

一九八五年前後生まれって結局「若者の流行」を作れなかったよな。

投稿日:2019年7月18日 更新日:

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■先日「SUNNY 強い気持ち・強い愛」
という映画(BD)を観た。

一九九六年。
ルーズソックス、
白いカーディガン、
明るい茶髪、
ポケベル持ちの女子高生たちが、
「そばかす」
「CANDY GIRL」
「LA・LA・LA LOVE SONG」
「これが私の生きる道」
「僕たちの失敗」
なんかをBGMに過ごす青春と、
その後生きる格差社会での人生を描いている。

リリー・フランキーがこんなことを言う。
「日本中が女子高生を中心に
回ってたんですからこの頃は。
当事者として、どんな気分でした?」


■さて、私は昭和六十一年一月生まれなのだが、
この、西暦で言うところの
一九八〇年代中終盤生まれ、
というのは、
「流行を作れなかった世代」
だと思う。

一九六〇年代後半の団塊世代のような、
一九八〇年前後の新人類世代のような、
一九九〇年前後のバブル世代のような、
そして一九九〇年代中盤のコギャルたちのような、
あるいは今日のネットでの「バズ」のような、
「若者の流行」を、
二〇〇〇年代前半の私たちは、
ついに生み出すことができなかった。

例えば
「二〇〇〇年代前半を象徴する若者ファッション」
だと、たぶんベッカムヘアになってしまう。
服は、というと、これと言うのがない。

「SUNNY」のように、
特定の世代の流行を後世から振り返った物語、
というのはいろいろあるが、
「二〇〇〇年代前半の若者」
は、きっと最後まで作られないだろう。


■そもそも「○○世代」という名前すらつけてもらえなかった。
しかし
「名前のない世代」
という言葉は一九八二年前後の世代に取られている。
八二年生まれと八五年生まれは重なる部分はあるけれど、
「酒鬼薔薇聖斗」は「小五の時の中二」、
「キレる十七歳」は「中三の時の高三」だから、
やっぱり「違う世代」という意識の方が強い。

佐藤喬「1982 名前のない世代」
https://tkj.jp/book/?cd=02545001

それでいて「ゆとり世代」の
仲間には入れてもらえない、
「仲間外れ世代」だ。

二十二歳で就活をしたのであれば、
幸運なことに景気は、悪くなかったけど、
「バブル」とか「アベノミクス」ほどではないから、
それで名前が付けられることもない。
「リーマンショック」の被害は受けたけど、
「氷河期世代」ほど、そこでくくられることはない。


■我々が「若者の流行」を作れなかった原因の
ひとつには、メディアの進化についていけなかった、
というのがあるかもしれない。

日本では、書籍・雑誌もCDも、
一九九〇年代後半に売上のピークを迎えている。
サラリーマンの可処分所得も最高潮だ。
一九九〇年代の日本は豊かだったのだ。

一九八五年生まれは、その恩恵を存分に受けている。
「ドラゴンボールZ」も
「SLAM DUNK」も
「セーラームーン」も
「スーパーマリオカート」も
「ストリートファイター」も
「ファイナルファンタジーVII」も
「クレヨンしんちゃん」も
「ポケットモンスター」も
「名探偵コナン」も
「アンパンマン」(アニメ)も
私たちの世代に向けて作られた(部分がある)し、
「ロングバケーション」も
「もののけ姫」も
小室哲哉も、存分に味わった。


■しかし、二〇〇〇年代、青年期頃になると
TVや出版をはじめとするメディアが、
そういった「大きな流行」を作る力は
段々と衰えていた。
しかし今日の
「YT」や「Twitter」や「Instagram」のように、
ウェブで自分たちが情報を発信する、
というところまではまだ行っていなかった。

力を発揮できないまま
とまどってしまった、
という面があるかもしれない。


■また、一九九〇年代までは、
オタクは陰に隠れた存在ながらも、
(だからこそ)オタク向けのアニメや漫画は、
「知る人ぞ知る」ものとしてパワーを持っていた。

現在、オタク文化はすっかり表に出て、
「表の流行」と融合している。

その間の微妙な時期が二〇〇〇年代前半だ。

「Twitter」や「YT」ではなく、
「2ちゃんねる」でみんな語っていた。
書き込んでいた中心は
もう少し上の世代で、
私たちは主に読んでいた。
オタクだけでなく、
あの子も、あの子も、あの子も
みんな「2ちゃんねる」を読んでいたのだ。
(隠してもだめである)

ただ、匿名だったし、
後の「Twitter」や「Instagram」、
「YT」や「ニコニコ動画」などと違って
基本的にアングラだったから、
そのパワーが世代として可視化されることは
なかった。


■そんな一九八五年前後生まれは、
今後もきっと、世代としてろくに認識されないまま、
ひっそりと過ごしていく。

意気軒高な年長者に感心し、
若者の活躍を暖かく見守り、
時に両者をたしなめ、支える、
時代の隠者-。

「それが私の生きる道」なのだ。
(この曲も「分かるけど世代じゃない」もののひとつだ)

令和元年七月十八日
明瀬祐介(アカセ・ユウスケ)
acsusk@gmail.com
https://twitter.com/acsusk/

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