アカセニッキ(明瀬祐介日記)

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所感

俺たちはなぜVHSに惹かれるのか。

投稿日:2019年7月30日 更新日:

■かつて、
「VHS」という物があった。

単行本くらいの大きさで、
中に黒い磁気テープが入っている。

これをレコーダーに入れると、
TVを九〇分くらい録画することができる。
(画質を落とせば、三倍で録画することもできた)

また、今で言う
ゲオやツタヤのような店舗が、
今よりもたくさんあり、
そこで映画やTV、
そしてオリヂナル作品を借りることができた。
(その中心はポルノだ)


■昭和生まれなら、
誰もがこの家電製品を
懐かしく(人によっては苦々しく)
思い出すだろう。

それは、
「二〇世紀の想い出」の
ちょっと上位の部分に入っていて、
それはほかの家電とも、
メディア媒体とも、
少し異なる地位を占めてはいないか。

なぜVHS「だけが」こんなに懐かしいのか。


■その理由のひとつは、
VHSが活躍した時期が、
日本における二つの黄金時代、
と重なっていたからだと思う。

さらに厳密にいえば、
二つの黄金時代の最後の時期と、
重なっていた
からだ。


■そのひとつは、
日本のTVの全盛期である。

それがいつはじまったのか、
いつがピークなのかは分からない。
が、終わったのがいつなのかは、
明確に分かる。
二〇〇〇(平成十二)年前後の、
インターネットの普及のときだ。
TVが娯楽や情報の絶対的な中心だった時代は、
そこで終わる。

それ以前の、
TVがすべての中心だった最後の時代、
TVの正妻の地位にいたVHSは、
「おしん」や
「独眼竜政宗」や
「秀吉」を録画した。
「マジカル頭脳パワー」や
「みなさんのおかげです」や
「料理の鉄人」を録った。
「101回目のプロポーズ」や
「ひとつ屋根の下」や
「ロングバケーション」も。
「セーラームーン」や
「ドラゴンボールZ」や
「エヴァンゲリオン」も。
千代の富士や
ナリタブライアンや
三浦知良も-。

VHSは人々に
「TV録画の愉しさ」
というものを初体験させたけど、
その「TV録画」というものの意味が、
いまよりも少し大きかった
のだ。


■もうひとつ、VHS時代は
日本経済の黄金期と重なっていた。
そして、その終わりと重なっていた。

日本経済のピークは一九八〇年代後半、
指標によっては
日本の庶民の豊かさのピークは
一九九〇年代後半だったという。
VHSは、その時代を
まるごと過ごしたことになる。

VHSを思い出すとき、
その時代の自分を思い出し、
それを見た頃の周囲も思い出す。

それは、想い出の美化を加味しても
それなりに豊かな時代だったので、
VHSも、ちゃっかりいいポジションにいる。

VHS自体、そんな時代の
日本の製造業の象徴のひとつだ。
「プロジェクトX」も、
二つ目の題材はVHS開発だった。


■以上は「VHSの文化」、
「VHSの時代」の話だけれど、
VHS自体、なにかの「最後」の部分があった。

まず、あれは
ほぼ最後のアナログメディアだ。

そして、途中まで差し込むと、
吸い込まれていくカセット。
後期に登場した、
あの、くるくる無限に回す操作機構。

後の製品よりもちょっと
「機械」の雰囲気を出し、
後の時代に繋がらない、
「進化の袋小路」である。


■そしてVHSは、引き際も見事だった。

昭和生まれならきっと
「想い出のレンタルヴィデオ店」
があるだろう。
が、それはDVD屋になったかならないか、
という過程を経て、
おそらく今はつぶれている。

TVやCD、他の家電や車は、
今でもある。
カセットテープですら、
VHSよりも後まで見かけた。
ファミコンやスーファミも、
そのソフトウェアと一緒に回顧され、
よくメディアに登場する。

しかし、VHSを
今見る機会はほとんどない。
メディアにも、そこまで登場しない。

二〇年近く生きていたのに。
あれほどどこにでもあったのに。

日本の経済や、製造業や、TVの、
全盛の最後の時期に現れ、
人々を独占し、
それが終わると突然消えた、
日本製の機械、
あのおかしなテープと装置-。

だから、VHSはずっと特別な存在なのだ。

令和元年七月三十日
明瀬祐介(アカセ)
acsusk@gmail.com
https://twitter.com/acsusk/

-所感

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