アカセニッキ(明瀬祐介日記)

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所感

現代音楽←まだわかる 現代美術←は?

投稿日:2019年8月5日 更新日:

■美術には
「現代美術」「現代アート」
というジャンルがあり、
今の「ハイカルチュア」としての
「美術」のかなり主流を占めている。

音楽の「ハイカルチュア」部分の主流は、
以前として「いわゆるクラシック」だ。
もちろん「現代音楽」はあるし、
それも主流ではある。

けれど、なんというか、
音楽における、
「現代音楽」と「クラシック」は、
美術における
「現代美術」と「それ以前の美術」ほど、
かけ離れてはいない。

俺は、「現代音楽」の良さは分かる。
が、「現代美術」の良さはまったく分からない。

現代音楽は、
なぜ現代美術みたいではないのか

こんなもの、
楽譜も読めないし絵も描けない、
本もろくに読まねえ俺に
分かるわけないし、
既に誰かが言っていると思うのだが、
一応一人で考えたことを書いておきたい。


■ひとつは、たぶん誰でも分かると思うが、
絵には写真というライヴァルがいたことである。
ルネッサンス以降、
(あるいは本当はそれ以前から)
絵は、写実性を高めようとしてきた。
が、 写真ができてしまうと
「現実を写し取る」
ことの意味が以前とは違ってしまう

音楽は、蓄音機ができ、DTMができたけれど、
それは絵における
「絵を撮影した写真」とか
「グラフィック用ソフトウェア」
にあたるもので、
音楽そのものを脅かすわけではない。

だから、
絵はその意味を再定義する必要があったけれど、
音楽はそれまでの音楽のままでいられた、
というのがひとつ。

そもそも絵の目標の一つに、
「現実にあるきれいな景色・物・人を再現しよう」
という部分がかなりあったのに対し、
「現実にあるきれいな音色を音楽で再現しよう」
というのがそれほどなかった

だから、
「絵に対する写真」
と同じ意味の
「音楽に対する○○」
はそもそも成立しないのだ。


■絵の方が具体的に対象物を伝えられる、
というのもある。
人のように描けば誰が見ても人になる。
何らかの物語の一場面を織り込むことは可能だろう。

一方で音楽は「歌詞」がなければ、
何が対象なのか、確実に伝えることはできない。

だから、
「無意味な音楽」
が誰にでも作れるのに対して、
わざわざ抽象絵画≒現代絵画を描かないと、
「無意味な絵」
にならない。

絵だと、
「無意味」だということに
ちょっと意味があるから、
「無意味」を目指すようになったのが、
現代美術、ということだろうか。


■もう一つ、
これは誰か何らかの形で
実証的に調べてほしいのだけれど、
音楽の方が、美術に比べ、
「良さ」の中の「心地よさ」が
占める割合が多い
のではないか。

「よい音楽」を作ろうとするとき、
たいがいの人は「心地よい」ものを作ろうとする。
ある人が「よい音楽」だと考えているとき、
それはその人にとっての「心地よい」音楽だ。

一方で、
ある人にとっての「よい絵」が、
その人にとっての「心地よい絵」だとは
言えない度合いが高い。

どうしてそうなのか、
というのは脳の仕組みとかに
関係があるのかもしれないが、
私には分からない。


■そんなこんなで、
メインカルチュアとしての音楽は、
今でも結構心地よい。

一方で、現代美術は…。

…まあ以上は、
私が勝手に考えたことなので、
何かご教授いただければ幸いである。

令和元年八月五日
明瀬祐介(アカセ)
acsusk@gmail.com
https://twitter.com/acsusk/

-所感

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