アカセニッキ(明瀬祐介日記)

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所感

ただ働きする自由認めてやれや。

投稿日:2019年8月9日 更新日:

■以前、オリムピック東京大会の
ヴォランティアが
猛暑の中過酷で、能力も要求され、
しかも給料が支払われない、
と問題になったことがあった。

俺は、参加者当人たちが条件に納得して
応募するのであれば、
ぶっちゃけ何の問題もない
としか感じない。
(もちろん健康や安全の確保は別問題として)

俺自身、さすがにこの仕事をやりたくはないが、
「まあ、楽しい部分もあるだろうな」
ぐらいには思う。

かりにもし成立するのであれば
「参加料を払った人だけスタッフになれる」
という制度でもいっこうに構わない
くらいだ。

(俺個人としてはオリムピック東京大会自体を
嫌悪しているし、
運営側が大儲けしたりする構図も
あまりよくないとは思うが、
それはまた別の問題で、
あえて言うなら
「運営側の取り分も安くせえ」
である)

(ただし、この手のイヴェントに、
「奉仕」という名で
強制的に動員されることが
往々にしてあり、
それはまた別の問題として考えたい)


■あるいは、平成二十五年(二〇一三)年、
大阪市天王寺区が
「天王寺区広報デザイナー」 として、
実務経験がある
職業デザイナーや美大生などを、
これも無償で公募したことがある。
そして、デザイナーやクリエイターから
非難を浴びた。

俺には、
「せやったらあんたがその仕事
しなければええやん」
としか思えないのだが、
ここで問題になってくるのは、
どうもまわり巡って
「デザインの相場が下落する」、
ということらしい。
つまり官側の叩き行為だし、
一種の労働ダンピングではないか、
ということだ。

自分の絵をただで配ろうが、
(あるいは金を払って使ってもらおうが、)
受注者-発注者双方の同意があれば
やっぱり自由だと思うし、
第三者がその受発注に文句を言って、
両者の相思相愛に
水を差すべきではないと思うのだが…。

実際、ほんとに
「自分のイラストやデザインが
多くの人に見てもらえればいいなあ」
と純粋に思っていた人だっていただろう。
そこで使われたことがきっかけで、
その人の夢がさらに開いたかもしれない

(天王寺区にはいなかったかもしれないが、
他の場所で同じような案件があれば、
そういう人もどこかにはいたはずだ)

「無料を許すな!」
と言ってそういった人の
将来的・潜在的な機会を
奪うのはいかがなものか。

だいたい普段
「行政の無駄遣い」
を批判している人は、
むしろ天王寺区を賞賛すべきだ。


■世の中、同じ内容であっても、
「お金を貰っても全然やりたくない人」(A)
から、
「お金を払ってでも、
止められるまでやりたい人」(Z)
までいる場合は少なくない。

(Z)に近い人が使われるのは
当たり前で、あなたが発注者であっても
実力のある(Z)がいれば(Z)に頼むはずだ。
(Z)は喜んでやってくれる。

そこで(E)とか(F)とかいう
「金を貰ったらやる」
「プロフェッショナル」たちが、
「(Z)に頼むな!
俺たちの仕事を奪うな!」
というのは分かるが、
それは(Z)の楽しみを奪うことになるし、
発注者の出す金も余分に増えてしまうし、
(K)や(L)も、(Z)ほど楽しくはない。

全体の最大幸福から
やはり遠ざかってしまわないか。


■実際、今の世の中ウェブで勝手に
自分の絵やら音楽やらを公開して
「好きに使ってくれ」
と言っている人はいくらでもいる。

「いらすとや」なんかその典型で、
やはりこれにも
「あのスピードとクオリティのイラストを
商用でも自由に提供されてしまっては、
他の人の創作活動の機会がなくなってしまう」
という批判があった。

俺は「しゃあないやろ」
としか思わないし、
実際このときはそういう声が多かった。


■つまり俺が言いたいのは、
「ただ働きの自由もあるだろう」
ということで、
ほんとにほんとにただ働きしたい人から
「やりがい搾取」
「労働ダンピング」
などと言って
その権利を奪おうとする第三者は、
よくないのではないか。

何というか、
「特に公的機関や大企業は雇用を作り、守るべし」
という、ケインズ的な、統制経済的な、計画経済的な
発想を感じる。

しかし、これらの主張にも一理はあると思う。

現状を前提にして、
「無償」や「格安」での
依頼をすれば、
確かに雇用もなくなってしまうし、
雇用がなくなれば生活できない。
その主張じたいは分かる。


■ちょっと違う話になるのだが、
過重労働で若者が亡くなった事件の際、
堀江貴文が
「死ぬくらいだったら会社辞めればいい」
と、これも非難を受けた。

この言い草はないと思うし、
「精神的に追い込まれてしまってできない」
という声もあったけれど、
内容としては圧倒的に正しい。
企業でも学校でも組織でも、
つらいなら逃げろ!
命が一番大事だ!


■もちろん問題はあって、
企業の場合、やめてしまうと
生活が苦しくなる場合がある。
堀江は
「なんとでもなる」
と言うだろうけど、
人間そう簡単に切り替えられないのだ。

行政-企業でも同じことで、
行政が安すぎる値段で仕事を発注する場合、
究極的には
「その仕事受けなきゃいいじゃん」
でしかないのだが、
実際はそうも言ってられず、
「その仕事」しかできない場合が、
確かにある。

個人も仕事を辞められないし、
企業も仕事を辞められない。


■これらを一気に解決する方法は
ひとつしかない。

「ただ働きの自由」
「労働ダンピングの自由」
も認めたうえで、同時に、
「その仕事をしなくても生きていける社会」
「まったく稼げなくても生きていける社会」
を作ることだ


■以前、
デービッドアトキンソンの「日本人の勝算」
を読んで、この日記に
もやっとしたものを書いたことがある。

「最低賃金を上昇させ、
払えない企業に統合を促すことで、
日本経済を効率化させる」-。

その時はうまく言えなかったのだが、
俺が言いたいのはこういうことだ。

「賃金」という飴で、
労働者を縛り付けて
あまり楽しくない仕事をしてもらう、
というモデル、
国民みんながそうしなきゃ暮らしていけない
というモデルは、
全体最適から遠ざかっている。
今から目指すべき社会とは思えない。

上記の、(A)から(Z)までいる世界では、
「最低賃金」や「労働基準」
というもの自体が成り立たない。

(Z)がいるなら(Z)に頼むべきだ。
ただでも(Z)はやってくれる。

(A)や(B)しかいない仕事は、
自動化すべきだし、
どうしても自動化できないのであれば、
給与を上げるしかない。

もちろん、人は誰もが、
「需要がある分野の(Z)」
になれるわけではない。
しかしそんな人だって
死なせるわけにはいかない。
(Z)だって、ずっとただ働きでは死んでしまう。

この解決ができるのは、
ベイスィックインカムしかない

ということで、
話は、前回の最初に戻るわけである。

令和元年八月九日
明瀬祐介(アカセ)
acsusk@gmail.com
https://twitter.com/acsusk/


(つけたり)
■この、
「当人たちの勝手にさせたれや」
という思いは常にあって、
下記のように、つたない文章を書いている。

-所感

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