アカセニッキ(明瀬祐介日記)

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所感

今の将棋界には胡散臭さが足りない。

投稿日:2019年8月14日 更新日:

■「日本の伝統文化」として、
華道や茶道、書道、
あるいは落語や歌舞伎や能、
相撲なんかと一緒に、
「将棋」が扱われることがある。

前から思っていたのだが、
この中だけ将棋だけ、ちょっと異質なのだ。


■例えば、将棋には「名跡」「号」がない

華道も茶道も書道も落語も歌舞伎も能も相撲も、
多くの場合、本名とは別の名前を名乗る。

囲碁も、ちょっとだけ号が残っている。
井山裕太は
普通は「井山裕太」として打っているが、
実は「本因坊文裕」でもある。

が、将棋だけは「名跡」の文化が
全く残っておらず、
本名だけしか名前がない。


「弟子入り」文化もあるのだが、
(ほかの芸事にくらべると、)

希薄だ

将棋棋士も入門の際、
すでに棋士になっている人の弟子になる。
「一門の集まり」というのもあるようだ。
住み込みも平成初頭の
山崎隆之くらいまで残っていた。

ただ、解説を聞いていると
他の芸道の師匠-弟子、
兄弟子-弟弟子の関係とはちょっと違う。
「”大学教授と、その弟子の研究者”
よりも少し強いくらい」とか、
「学生スポーツの監督と選手くらい」
という印象か。

ご存知の通り、 相撲の弟子入りは、
今なお部屋での共同生活である。

落語では
林家たい平あたりを最後に、
住み込みというのはいないようだが、
言葉遣いから何から、
昔ながらの
「師匠、あにさん、弟子」
の絶対的上下関係が残っている。
http://enjoo.com/rakugo/old/zenza_011.html

芸道だと、
「師匠の言うことは絶対」
なのだが、将棋の場合、
かなり若い頃に師匠を超えてしまうことが
多々ある、というのもあるかもしれない。


■次に、見た目について。

相撲の力士は、見れば誰でも力士だと分かる。

歌舞伎役者や能役者、落語家なんかは
普段の生活では分からないけれど、
舞台(高座)では独特の恰好をしている。

棋士は和服…、
と言いたいところなのだが、
実は棋士はあまり和服を着ない
殆どの場合、スーツで将棋を指している。

TVドラマなどで将棋棋士が
平凡な対局で和服を着ているが、
あれはまあ制作上の演出だ。
「警部補古畑任三郎」には、
いつも和服を着ているヴェテラン棋士が、
スーツの掛け方が知らない、
という話があった。
そんな棋士は絶対におらず、
むしろ一生に一度も
和服を着ない棋士も珍しくないと思う


言葉遣いも、いたって普通だ

落語家は普段から落語家らしい符牒を使っている。

歌舞伎や能は普段は普通の話し方だが、
舞台に出ればあの口上を使う。
力士も力士同士だと力士の話し方があるし、
行司や呼び出しはやはり「口上」を述べている。

将棋には、その要素が一切ない。

解説を聞いていても
普通のお兄さん、おじさんの会話だし、
何か対局前後にそれらしく口上を
述べたりすることもない。

演出的に「江戸時代」「日本文化」を見せる
慣習が全くない
のだ。


■どうも将棋は
「日本の伝統文化」
のカテゴリに入ってもおかしくないのに、
かなり早いある時点でそれをなくして、
「和風」の演出よりも
「個人」どうしの競争を前面に出す、
「近代競技」になった感がある。

この要因には、
もともと庶民のゲイムだったのも
あるかもしれないし、
独学が可能なのことから、
「お稽古事」にならなかったのも
あるかもしれない。
江戸時代に君臨していた家元と、
早い時期に無関係になり、
完全実力制となったことも
関係があるかもしれない。


■それでも昭和までは
(「日本文化」とはちょっと違うものの)
灰汁の強い、「勝負師」のような
キヤラクターがあったのだが、
平成初期の羽生世代が
完全に「現代人」で、
しかも抜群に強かったことで、
それもなくなってしまった。

それ以降の将棋界は、
完全に「現代人」どうしの戦いだ。


■さらに、ネットとの相性が
異常に良かった。

ネットが、
「天才的ギーク」で、
「普通の若者」または「奇人」という、
将棋棋士の面白さを「発見」し、
それが広まって今日の隆盛を作る。


■私が将棋を視始めたころから、
完全に将棋は
「現代人どうしのマインドゲイム」
であったので、これが自然である。
先輩にも師匠にも遠慮なく、
勝負で決着がつく完全実力制であることが
将棋棋士の凄さを保証しており、
「天才的ギーク」「普通の若者」「奇人」
というキヤラクターがフアンを増やしている。

だから何の不満もないのだが、
ふと、考えることはある。

将棋がもっと”伝統文化”然とした
パラレルワールドも見たかったな
」と-。

対局にも解説にもイヴェントにも、
常に和服で登場し、
対局の前後に立会人が
言葉の口上を述べる。
濃厚な師匠-弟子の関係を残し、
漢字二文字の名跡を名乗る。

そういう将棋界も、
きっと魅力的だったと思う。

全体的に、
今の将棋界には胡散臭さが足りない。

令和元年八月一四日
明瀬祐介(アカセ)
acsusk@gmail.com
https://twitter.com/acsusk/

-所感

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