アカセニッキ(明瀬祐介日記)

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所感

現代はマニアを名乗るのも難しい。

投稿日:2019年8月25日 更新日:

■現在はSNSの発展で、
「井の中の蛙」になるのも難しい。
と言われる。

私は一九九〇年代後半から
二〇〇〇年代前半期に
茨城で中高生を過ごした。
そういう環境では、
ヂャンルによっては、
「周りで一番自分が詳しい人」
になるのは簡単だ。

例えば「大相撲」だと、
「現役幕内力士の顔が三〇人くらい分かる」
「決まり手三〇種くらいなら見て判断できる」
くらいで、もう
「周りで一番詳しい人」
だったし、
「相撲マニア」という扱いだった。
(「ドラえもん」なんかでも、
「てんとう虫コミックス」四十五巻と大長編全巻を
揃えているというだけで
「マニア」のような扱いだった)

当時、
もちろんインターネットはあったのだが、
その「インターネットを見ている人」
というのが少なかった。
インターネットにいる、
自分よりも詳しい人は、
「どこかにいる、自分よりも詳しい誰か」
という感覚だったのだ。


■大学に出ても、
ちょっとマイナーな趣味分野であれば、
いくらでも
「一番詳しい人」
にはなれた。

大学相撲部のイヴェントに行って、
部員とちゃんこを食べたことがあるが、
大相撲に関しては、
自分でもそれなりに詳しいほうに
入るようだった。
そもそも相撲部は
別に大相撲を観戦する
サークルじゃないし。


■改めて思うのは、
現在というのは
娯楽なんかに関して、
「詳しい人」扱いされるのも
難しいということである。

「なんJ」なんかを見ても、
「こいつらはどうしてそんなに
野球に詳しいのだ」
と、いつも思う。
TVを視ても、
スポーツ新聞や
「週刊ベースボール」を読んでも、
いや、ネットの野球情報をかき集めても、
そんなに野球に詳しくなれないと思うのだが、
あれはいったいどういう層なのだ。

アイドルでもアニメでも
なんでもそうだけど、
みんな詳しすぎないですか?


■まあこのように私が思ってしまうのには、
ひとつには「ネット」を
あたかも一つの人格のように
錯覚してしまう現象のせいもあろう。

ネットの世論がいきなり非難から絶賛に変わったりする、
「お前ら前はああ叩いてたのに
手のひら返しが…」
みたいな言葉に出くわすことがある。
いや、それは前に言ってた人と
今言っている人が別の人なのだが、
匿名なので何となく同じ人が
前は批判して今は絶賛しているように
錯覚してしまう。

これと同じで、
「阪神タイガース」だけに詳しい人と、
「投手のテクニック」だけに詳しい人と、
「昭和の野球」だけに詳しい人…
たちが何十タイプかあつまって、
あたかも
「阪神タイガースにも、
投手のテクニックにも、
昭和の野球にも詳しい”みんな”」
がいるかのように
錯覚させているのかもしれない。

そんな現象もあるし、
実際、「阪神タイガース」に関する
一人の詳しさだけでも
大した物だと思うで、
現代は自分が「詳しい人」と実感するのも
難しくなってしまった。


■ちなみに、前述の相撲部のイヴェントで、
私は廻しをつけて相撲部員に胸を借りた。
相手の胸に頭をつけた後、
「五輪砕き」の状態になった末、
全く動けず負けた(怪我、損傷等はなし)。

弱い人が強い人に
「頭をつける相撲」を取った場合、
「五輪砕き」の状態になることは
珍しくないのだと思う。

令和元年八月二十五日
明瀬祐介(アカセ)
acsusk@gmail.com
https://twitter.com/acsusk/

-所感

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