アカセニッキ(明瀬祐介日記)

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所感

ぼくのいた、「田舎の」「私立」「共学」「新設」「中高一貫校」の気持ち悪さ。

投稿日:2019年8月29日 更新日:

■ぼくは昔、
とある田舎の新設私立共学中高一貫校に通っていた。

当時のぼくの学校は、
当時すごく心地よくて、
今思うとひどくつまらなくて、
そして妙に気持ち悪い空間だった。

それは、思うに、
「田舎」
「私立」
「共学」
「新設」
「中高一貫校」
が揃っていたからだと思う。

(追記 : それに加えて「東京に近い」もある)


■まず、田舎では、私立高校はともかく、
私立中学に通うのはごくごく少数派だ。

それはつまりある程度金持ちだし、
(うちは金持ちではなかったけど、)
親が教育熱心なやつらで、
ほぼ一〇〇%が大学に進学する。
見方によっては、
「甘やかされて育った
いけすかないやつら」
と言えよう。
それが、ヤンキーの国茨城に、
学年で二〇〇人、
学校で一〇〇〇人以上揃っているのだ。

今思うと、
これだけでかなり気持ち悪くないか、
田舎の中の、金持ち・教育熱心子女
隔離空間。


■スマートフォンやSNSがある
現在だとまたちょっと違うと思うのだが、
小学校までにいた、
「地元の友人」とは離れる。
中学と高校の間の人間関係のシャッフルもない。

六年間、ほぼ「学校」だけが
「家庭」以外の人間関係のすべてになる。

「部活」という縦の人間関係もあるのだが、
基本になるのは「学年」だ。

学年は二〇〇人。
その二〇〇人の中に
人間関係の線が濃密に無数に引かれており、
学年を超えた「部活」の線が人によってあり、
一二〇〇人くらいの「学校」で
人間関係の線がほぼ完結してしまう。


■ぼくのいた学校空間では、
ハードなことというのがなかった。
「ハードなこと」が
身に降りかかった順に、
学校空間から去ってしまう。

現代日本で、
「ハードなこと」
というのは、
一番は生活苦だろうし、
もっといけば犯罪とか暴力とかになろう。

もちろんそんなもの、
誰のもとにも訪れないほうがよいのだけど、
しかし、今にして思えば、
あの「ハードなこと」の排除ぶりは
ちょっと異常だと思う。


■卒業後、成人式のときに、
地元の友人と久々に会った。
車を乗り回し、白い着物を羽織る。
すでに商売をしているものもいる。
かっこいいな、と思った。

ぼくのいた学校で、
その意味で、
かっこよさを感じるのは
不良とB-Boyたちで、
どういうわけか彼らには、
地元の友達がいた。

そして、不良たちは、
煙草とか、万引きとか、
暴力とかしていて、
多くは退学になったり、
学校から去っていった。


■その後、ぼくが行った大学は国立の中では
わりと所得の多い家の出身が多いとは思うけれど、
(ぼくの家は金持ちではなかった)
それでも全国から、いろんな人がきていた。

大学には、
サークルや部活があって、
ある意味で社会以上に多様である。

今はSNSとかがあって、
自分たちは多様な社会のほんの一部だ、
いや、社会のほんの一部ですらない、
社会から隔離された別社会なんだ、
と、わりと早く気付くかもしれないけれど、
ぼくがそれに気づいたのは、
大学になってからだった。

「あれは社会じゃなかったんだ」-。


■それと、
男子校なら男子校、
女子校なら女子校で、
思春期の同性が集まり、独特の、
「異性がいない、
不満を基礎にした友情」
があると思うのだが、
共学だとそれもない。
で、中高一貫なもんで、
三年間の学校以上に仲が深まる。

そりゃもうまわりは
アヴェックだらけである。
つまり、リア充だ。

ぼくは社交的な性格でもないけれど、
そんなぼくですら女子と
話すことはできた。

なんというか、
中高生ってもっともっと、
不満を貯めているべきだと思う。


■また、伝統校だと
戦前からあるような
時代錯誤の因習みたいなのが
変えられないものとして
厳然と存在すると思うのだが、
高度成長後に作られた新設校だと
そういうのももちろんない。

設備もまだ新しい、とは言わないまでも、
例えば木造だったりして、
古さや伝統を感じさせるものではない。

創設当時の教員や、
母校の教員になった卒業生が多くおり、
彼らは、
「自分たちで理想の学校を作るのだ」
という意欲、
ある種の全能感すら見せていた。


■そこは居心地の良い空間だったらしく、
リア充だった人たちは、
卒業後も学校が大好きで、
よく集まるらしい。
卒業後、母校の教員になるものも多い。

この、私が覚える、
「気持ち悪い感じ」は、
説明してもなかなか分かってもらえない。
「うちもそんなもんだって」
と言われてしまう。

文章が下手なのもあって、
伝わらなかっただろう。

確かにどこの学校にも似た部分はあると思うけど、
(そもそも中学高校というものがそうである)
上記の要素が全部揃うと、
ほんとになんか異常に居心地がよく、
(今の私から見ると)
つまらなくて、気持ち悪い感じになる、
というのは、ちょっと説明しておきたい。

令和元年八月三〇日
明瀬祐介(アカセ)
acsusk@gmail.com
https://twitter.com/acsusk/


(つけたり)
■もうひとつ、
田舎ではあるけれど、関東で、
東京に電車で一時間で行ける場所だった、
ということもあるだろう。

だから卒業生は九割以上
関東の大学に行ったし、
おそらく関東で就職した。

関東以外の地方であれば、
進学も就職も
地元、地元の都市、
地方中枢都市、関西圏、
東京圏と、広がるのだが、
関東の東京近辺であれば、
それはほぼ
「東京近辺と茨城」
しかなくなる。
(それは一時間で行き来できる距離だ)

関東に生まれ育つと、
「日本=関東」のようになってしまう。

大学に行っても頻繁に集まっていた
グループもあるようだが、
東京に近くないと、
揃うのは難しい。

ぼくのいた中学高校は、
卒業後も学校のコミュニティが解消されないのだ。


■ぼくがこのような態度を
とるようになったのには、
大学の不潔さが好きだったから、
というのがある。

-所感

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