アカセニッキ(明瀬祐介日記)

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作戦 所感

俺は「研究」には何の興味もない。

投稿日:2019年9月22日 更新日:

■これは恥をしのんで書くのだけれど、
私は、学問的な「研究」という物に、
ほとんど何の興味もない。

十代のころ、
二〇〇五年、私は牢人の末、
国立大学の応用科学科に進んだ。
将来的には、理系の研究者になろうと、
ぼんやりと考えていた。

その後、落第を繰り返して気づいたのだが、
結局、学問的な「研究」には、
一切興味がもてなかったわけである。
今でも持てない。


■俺が世の中の難しいことに興味が全くないか、
というと、必ずしもそういうわけではない、
と、自分では思う。

なんと説明すればよいのか…、
悪い言葉でいうと、
「スノビズム」にあたる。

つまり、大学でいうところの、
「授業を受ける」ことには、
かろうじて興味があった。
「大学の教科書を読む」のも、
嫌いではない。
その授業の「問題集を解く」のも
楽しい場合がある

(こういう物があるのは、
おおむね学部くらいまでだと思うけれど)

でも、その先にある、
「専攻」「研究」「アカデミズム」には
ほとんど興味が持てなかったのだ。
自分の頭脳でやるのは無理だとしても、
今、最先端で何が行われているのか、
ということにも
(前提知識がないから分からない、
というのもあるのだが、)
あまり関心が持てない。

すでに体系化された
既知のものを知ることには
ある程度興味があるけれど、
いま、まさに未知の領域が広げていく仕事には
(心から敬意を表するものの)
その進展を知りたいという欲求が薄いのだ。

「知識が確立したあとで知りたい」
と思う。

小谷野敦がどこかで、
「学問というのは、
中学生や高校生が面白いと思うような事柄から
一端離れたところにある」
と書いていた。
その壁を越えられない人というのはいる。

これは「真のインテリ」と「亜インテリ」の
別に近く、重なる部分はあるが、
似て非なるものだ。
私はまぎれもない亜インテリだけど、
本物のインテリであっても最先端には興味がない、
という人はいよう。


■このように書くと、
ともすれば揶揄や侮蔑の対象になろう。
「受験勉強の弊害」
のように言われることもあるだろうし、
「インターネットやAIが発達した時代では…」
と将来性を危惧する人もいるだろう。
私も若い頃には劣等感を持った。

しかしこれはどうしようもない性質の問題で、
世の中にはそういう人もいるわけである。

だから、
もし自分のような若者が読んでいれば、
別に恥じることはない、
君には君の進む道がある、
と言っておきたい。


■ただし、
この性分の人が大学理系学部に進むというのは、
私がそうであったように、
あまり良いことではない。

きっと、大学理系に進むとよい人、
というのは、
「数学が得意」とか
「理科が好き」とかではなく、
「実験が好き」
「ものづくりが好き」という観点で
決まってくるものなのだ

だからもし、
これを読んでいる人の中に、
進路に迷っている高校生なんてのがいれば、
自分で何かを創ったり、つきつめたりするのが
あまり好きではないのに
理系に行くのは、
たとえ数学や理科がいくら得意であっても
やめておけ、
と、一応のアドヴァイスをしておきたい。

(「文系ならいいのか」
というのは微妙で、
やはり知識の習得はきらいじゃなくても、
研究には興味のない人、
というのは研究者には向いていないだろうし、
「大学院大学」は学部であっても
「研究」を前提に作られているので、
やっぱり向かないような気がする)

令和元年九月二十二日
明瀬祐介
acsusk@gmail.com
https://twitter.com/acsusk/


(つけたり)
■もしかしたら
「自分は今まで研究とか制作とか
したことなかったけれど、
研究者になる段になったら
きっと好きになってするだろう」
として理系に進む若者がいるかもしれない。

でもそれはちょっと危険なのではないですかねえ。

押井守が
「アニメーターになりたいんですが
どうしたらいいんですか」
という質問を受けて、
「ほんとうにアニメーターになりたいんなら
もう何らかの形でアニメを作っている」
と答えたことがある。

これでいくと、
職業としてよいほど研究が好きになる、
という特性を持った人は、
十代半ばくらいのときにすでに
何らかの形で研究に
近いことをしているのではないか。


■このミスマッチングが発生する要因には、
ひとつには先に指摘した
「にでもエリート」の問題がある。
研究者は「にでもエリート」のひとつのコースに
なってしまっており、
それが若者と受け入れる側、双方にとって不幸なのだ。

-作戦, 所感

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