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所感

もしも学校がなくなれば、日本に「コミュニティ」はゼロになる。

投稿日:2019年10月8日 更新日:

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■ここ最近、ぼくは
いろいろでたらめなことを書いてきた。

「学校の座学の勉強は、
集団で一斉に授業を受けるよりも、
個別に勉強をした方が遥かに効率がよい。

だから、
(小中高校、それに
大学の教養科目と専門基礎科目までは)
学校の座学の授業は廃止して、
検定試験だけを行なえばよい。
(学校ではアートやスポーツ、実習、
それにグループ活動といったことだけをするのだ)」

「同様に、現状では大概
長期のスクーリングが必要な、
教師や医師、弁護士までも、
検定試験を基本にし、
独学でなれるようにすべきだ。
その方が効率がよいから。
(必要な実習や倫理教育だけを
学校で行なえばよい)」

「現状では学術研究やアートに
公金が使われているが、
スポーツと同様に、
商業化の方向に舵を切って、
“民営化”すべきだ」


■もし、これらが実現されたとしよう。
(そんなことはありえないのだけど)
今回考えてみたいのはここからだ。
じゃあ学校って何すんの?


■「学校」って、 現代日本では唯一の、
人々がかろうじて愛着を持っている
“コミュニティ”だと思う。

流動性の高い時代、「地域」は、
特に都市部では、強い愛着の対象ではない。
どんどんそうなっていくだろう。

「会社」や「職場」も、
人々が流動的に動き、
会社自体が流動的に消えたりなくなったりする時代には、
愛着は薄くなるはずだ。

そんな中、「学校」だけは、
ある程度強力な精神的コミュニティであり続けている。

「愛校心」というといかにもダサい言葉だけど、
みんなかなり「愛校心」を持っているようだ。
ぼくでさえ、小学校と大学は好きである。
(中学高校はそうでもない)。

もし、それがなくなったら-。


■するとどうなるか。
若者たちは、
きれいで快適な世の中で、
真面目に勉強をして、試験を受け、
あとはアートやスポーツ、
メディアを愉しむだろうか。

いや、きっとそうはならない。
彼らは新たに「仲間」を作るんじゃないかな。
「愛校心」に近い感情を、
別のものに宿すんじゃないかと思う。

そして、なんとなくだけど、
喧嘩をするようになるだろう。

かつていた、「体育会系」のように、
あるいは「ヤンキー」のように。
そして、「全共闘」のようにね。

令和元年一〇月八日
アカセ
acsusk@gmail.com
https://twitter.com/acsusk/

-所感

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