アカセニッキ(明瀬祐介日記)

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スポーツ 所感

「UNIVAS」で失われる物もあるだろう。

投稿日:2019年10月19日 更新日:

■「七帝柔道記」という本がある。
旧七帝大伝統の
寝技主体の団体戦柔道を戦う
昭和の男たちを描いた、
増田俊也の自伝的作品だ。

主人公は、
最初から二年の留年を計算に入れ、
大学生活のすべてを七帝柔道に賭ける-。


■さて、この平成三十一年の三月より、
「日本版NCAA」と銘打って、
「UNIVAS」という組織が誕生した。

「これまでの大学スポーツは
大学生でありながら、
大学からも半ば独立した
“体育会”として、
ある種好き勝手にやっていた面があるけれど、
今後は徐々に、
アメリカの大学スポーツを見習って、
きちんと大学生として活動していくように
なっていきましょう」

「また、各々の競技も
団体ごとに好き勝手にやっていたけれど、
それだとスポーツの公平性の観点でも
問題があるから、
統合団体できちんと公平な運営をしていきましょう。
大会フォーマットも統一していきましょう」

「それから、
今まではお金というものを
あんまり考えていなかったけれど、
人気スポーツに
お金が入るようになれば、
さらに強化につながるでしょう。
それを徐々に目指していきましょう」

というような問題意識が根底にあるらしく、
その考えは理解できる。

https://www.univas.jp/

https://victorysportsnews.com/articles/4178/original

https://diamond.jp/articles/-/204470


■その「UNIVAS」が
今後どのような展開を
目指しているのか分からないけれど、
その「商業化」「開放」の課程は、
ある一面では、大学スポーツに未だ存在する、
「特殊な部分」をひとつずつ除き、
標準化・規格化していくものになるはずだ。

従来、隔離されることによって、
守られてきた、
独自の「風土」「文化」「場」「柄(ガラ)」
みたいなものは、
そのとき、どうなるだろう。

そう、「七帝柔道」のような-。


■現状では、UNIVASに
加盟していない大学、競技は多い。
もちろん七帝柔道もUNIVASの外にいる。

が、ここでは
「もし七帝柔道が将来、
“UNIVAS的な物”に組み込まれたら」
という、若干無理のある思考実験をしてみたい。

なぜなら七帝柔道こそ、
「UNIVAS」的な、
「学業重視」の精神からも、
ビジネス化の精神からも、
オープン化・標準化の精神からも、
最も遠いと思うからだ。


■「”UNIVAS”に入ったからといって、
七帝柔道をなくすわけではない」
と、その推進者は言うだろう。

けれど、
「内部だけで」「勝手にできる」場ではなくなる。

「内部の人」が「当然のもの」として
大切にしてきたものを、
それを「当然のもの」とは
思わない「外部の人」に、
一部「審査」してもらうことになるはずだ。

それは確実に変化をもたらす。

ちょっと考えられそうなところだと、
練習時間に制限ができたり、
取得単位数による出場制限がかかったり
するかもしれない。
スポンサーがついたり、
「七帝大」でなくても
出られるようになったりすることだって、
ありえるだろう。

今挙げたのは例だけれど、
身内だけで「世界」を形成していた、
今の「七帝柔道」の、
歴史や伝統や文化や精神のようなものを、
ひとつずつ捨てざるをえなく
なるのではないか。


■上記では思考実験として
勝手に「七帝柔道」を取り上げたけれど、
従来の大学スポーツには、
多かれ少なかれ、
「七帝柔道」に近い精神があった。
特に「伝統校」と言われるようなところだと、
その部分が強い。

大会フォーマットだって、
定期戦・対抗戦が発達したものが多い。

「仲間だけでやっているからこそ、意味がある」
とか、
「歴史があり、伝統であり、
先人たちの精神があるから、変えない」
というような物たち。
「外部の人からみれば
ただの”因習”であり、

“悪習”であり、
“エリート意識のあらわれ”であり、
“時代錯誤”かもしれないけれど、
実際やっているうちらからすれば、
ひとつひとつ大切な宝物なんだ」

とでも言いたくなるような物が、
たくさんあるはずだ。

それがたくさん積み重なり、
大学や競技によっては一〇〇年以上になったのが、
大学スポーツだと思う。

なんというか、
統合し、規格化し、オープン化する、
「UNIVAS」的な物とは、
根本的に合わないような気さえしてくる。


■さて、
上記のように書いたからと言って、
私が「UNIVAS」や、
そこで掲げられている、
「大学スポーツのビジネス化」に
必ずしも反対しているわけではない。

周りの全てがビジネスになる時代、
「商業化をしないで守り続ける」ことは
結果的に衰退を招くからだ。

昭和の時代、
現在よりもずっと
大学スポーツの「観戦」への
人気があった。

「UNIVAS」によって、
かつてのように、
あるいは彼らが目指しているアメリカのように、
大学スポーツが人気を取り戻す。
そんな未来が来るのであれば、
これまでの価値を捨ててでも、
目指す意味はあるのかもしれない。

令和元年一〇月十九日
アカセ(明瀬祐介)
acsusk@gmail.com
https://twitter.com/acsusk/


(つけたり)
■例えば大学のスポーツ大会は
高校までとは異なり、
フォーマットが統一されていない。
全国大会-地区大会
のようになっているものもあれば、
定期戦・対抗戦がそのまま残っている物もある。

根本的には、「大学生」の中に
「勉強で入った東大生」もいれば、
「スポーツで入った私立大学生」もいることに
起因していよう。
アメリカのように
学業成績による振るい分けも
されていない。

この状態では、
むしろ「七帝戦」のように
「大学群」ごとの大会を
開いたほうが、
「学業成績による振るい分け」
に近い。
だからこそ、
「大学群ごとの大会」が
数多く開催され、残ってきたのだ。

「大会フォーマットを統一すべき」
というならば、
この「大学生もいろいろ」な状態こそ
解消しなければならないだろう。

が、仮に「UNIVAS」の指導者が
この状態を改革しようとしても、
かなり困難な道程になるのではないか。


■ちなみに私は上記の内容に反して、
スポーツの商業化というものを
良いことだと思っている。

-スポーツ, 所感

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