アカセニッキ(明瀬祐介日記)

少しだけ役に立つ、または面白い内容を提供できれば。

作戦

資格試験で得られる「ちょっとやりきった」感は偉大。

投稿日:2019年10月30日 更新日:

LINEで送る
このエントリーをはてなブックマークに追加
Pocket

■スポーツの試合を視ていて
感動する部分のひとつが、
選手たちの「やりきった感」だ。

「自分のやれることはやった」
という誇り。

うらやましく思う。


■さて、では、我々、
凡人は、「やりきった感」を
味わうことができないのだろうか。

いつでもできる、とも言える。

けれど、
生活を大幅に変えるようながんばりには、
なかなか踏ん切りをつけられない場合が
多いのではないか。

やはり、スポーツ選手の
「やりきった感」はいろいろ犠牲にした特別なもので、
だからこそ、スポーツ選手の
「やりきった感」に、我々は感動する。


■しかし、そこまででなくても、
普通の人が、
「ちょっとやりきった感」を
比較的簡単に得られる機会がある。

資格試験の受験だ。

以下の三点で、
「普通の人が人工的に
“ちょっとやりきった感”
を作る」場合には最適だ。


■(一)目標が外部にある。

「○○冊本を読む」
「○日連続で筋トレをする」でも
「ちょっとやりきった感」は得られる。
けれど、その目標そのものが、
「自分が決めたもの」だから、
その「やりきった感」にも
ちょっと疑問符がつく。
あとになって、
「実は最初の目標が楽だったのではないか」
と思ってしまったりするかもしれない。

しかし、資格試験受験は
その疑いを許さない。
「だって外部が認めた資格試験だもん」
と、自分に言うことができるし、
他人も認めてくれる。


■(二)目標に期限設定がある

おそらくスポーツでも、
大会なんかに、
「やりきった感」を得ているのも、
この要素が大きい。
「本番の日が決められている」

「本番までは、それに全力投球だ。」
という「期間限定」の頑張りができる。

「終わりがある」


■(三)機会を自分だけで作れる

上記の(一)(二)を得られる作業は他にもある。
例えば職場で、期間の限られたプロジェクトを
担う機会もあるかもしれない。
それはもちろん、
多くの場合、資格試験よりも
「やりきった感」が
得られる。

しかし、その機会は自分だけで作れない。

資格試験は自分一人で完結できる、
という簡易さは大きい。


■繰り返しになるが、
スポーツ選手や、アーティストが得ているような、
「やりきった感」
というレヴェルのものではない。

ただ、本当の「やりきった感」というのは、
なかなか得るのが難しいのだ。

資格試験の効果というのは
その投資効果とかよりも
「やりきった感」
を人工的に作れるという意味で
大きいのではないか。

これを読んでいる人が何かしら感じれば、
ぜひ受験してほしいと思う。

(と、いいつつ私は何も受ける予定はないのだが)

令和元年一〇月二十九日
AcsUsk(アカセ)
acsusk@gmail.com
https://twitter.com/acsusk/

-作戦

執筆者:

関連記事

ExcelでSmartArtを使わずに組織図や分類表を作る。

■Excelで組織図や分類図を作る方法と言えばスマートアートを使ったり、セルを結合したりする方法が一般的だ。 ■が、下記のようにセル結合も、SmartArtも使わず、普通に一セルの中に一要素を書き込ん …

無敵の通信制大学、弱点もある。

■前回は、 「大学に通学し、講義を受けることで失ってしまう時間と費用を考えれば通信制大学が圧倒的に得だ」 「若者は通信制大学を選んで、その替わりに得た時間で他の活動を一生懸命するべきだ」 ということを …

学校は勉強を教えるな。

■前々回・前回と、「教育における、“縛りプレイ”で厳しい競争するのってまじで意味ねえよな」ということを長々と語ってきた。https://acsusk.com/20190710- …

no image

関西の貧乏学生はフェリーで上海行っとけ。

■大学生活の六年目、 二〇一〇(平成二十二)年の夏、船でひとり、上海に行った。 神戸から出ている「新鑑真号」に乗り、三泊四日だったかで、帰りは大阪への「蘇州号」に乗ったのだ。(これだと往復割引がなくて …

no image

プロフェッショナルアスリートは嘘でも遺恨試合やれよ!

■このたびの、「日馬富士が貴ノ岩を殴った」という事件から派生したひとつの問題は、貴乃花が提起した、「違う部屋の力士がちょくちょく同席してんじゃねえ」という話だった。 日馬富士・貴ノ岩たちに関しては異国 …