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人はなぜ文章のように文章を書くのか

投稿日:2018年6月12日 更新日:

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■講演でも、演説でも、プレゼンテーションでもいい。
自分が一人で誰かに向かってしゃべっているところを思い浮かべてほしい。

あなたは自分のおしゃべりに、矢印で注意書きや補足を付け加えたり、
他の文へのリンクを示す線を入れたりすることはできるだろうか。

「できる」という人はおそらくいないはずだ。

言葉を使って前の言葉を訂正したりすることはできる。
会話なら脱線もあるし、横から別の人が入ることもあるだろう。

しかし、内容面がどんなにそれても、
言葉自体は時間にそって一方向で進み、
横に行ったり、縦に行ったりできないのである。

例えば別の方向に直線を伸ばしたりすることは、
人間には絶対にできない。

当たり前である。
発話には物理的な制約があるのだ。
発話の一次元性と言ってもよい。

 

■では書くときは?
ノートを何か書くとき、大体みんなこの画像のように書くはずだ。


これを文章のように、

「1598年、秀吉が死んだ。1600年、関ヶ原(美濃国)の戦いが起こった。
東軍は徳川家康で五大老の一人、西軍は石田三成で五奉行の一人。
東軍が勝った。
1602年、家康が征夷大将軍になった」
とノートに書く人はあまりいないと思う。

我々は何か物を書く際、
発話の物理的制約、一次元性を自然と超え、
二次元的に書くことができるし、実際そうするのである。

 

■では、本は?
こういう風に書かれている部分もある。
しかし、それは説明のための挿図のようなところで、
多くの本で、一番多くの情報は、
「本文に」書かれているのではないだろうか。

記録・説明的な文章でも、文学作品でも、
発話の物理的制約(一次元性)を超えて、縦横に展開されたものはない。
洋の東西を問わず、また時代を問わず、
紫式部も魯迅もセルバンテスもイブン・バットゥータも、
あるいはニュートンもフロイトもニーチェも、
基本的に、文に線を入れたりして、
別の文との関連性を示したりしないのである。

あくまで文章は前から後ろへ、一次元的に進む。

よく考えると、これってちょっと不思議じゃないですか?

 

■この世の「現象」「情報」はおそらく無限の広がりを持って存在する。

「思考」も、おそらく複数のものが並列に近いスピードで切り替わっているし、
思考同士のリンクもある。

人間は二次元までなら容易に理解し、表現することができる(三次元も一応できる)。
コンピュータはもちろん、紙と鉛筆でだって、
二次元くらいは容易に表現することができる(三次元もできる)。

それでも、人間は文章を書く際に、基本的に発話の物理的制約・一次元性を守るのである

「3D CADで書かれて、Google Mapのように上下左右に操作する小説」
とかないのである。

(私も試しにそういうのを作ってみようと思ったが、想像すらできない。
というよりも、それはきっと「動画」とか「テレビゲーム」と言われるものだと思う)

 

■もし口が三つある宇宙人がいれば、「発話の物理的制約・一次元性」にとらわれず、
三つのことを同時に話し、文章も三列平行に書くのだろうか。

あるいは、あらかじめ思考内容を図示できるディスプレイを備えた宇宙人や、
電気信号でコミュニケーションを取れる宇宙人は、
果たして文学作品を書いたり、意味を感じたりできるだろうか。

何を言っているのか、自分でも分かりません。

***

と、ここまで書いて、
俺ってやっぱり天才だなあ、チョムスキーの再来だ、と思ってたところで、

発話の一次元性に関しては、ソシュール先生がすでに同じことをおっしゃっていたことがわかる。
(「はじめての言語学」(黒田龍之助)に書かれていたので、かなり基本的なことなのだろう。)
(一次元性は「線状性」というらしい。)

さらに、文章が一次元でない言語についても言及があった。
http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20090711/p1
http://d.hatena.ne.jp/trivial/20090712/1247328057

やはり不勉強者が新規のことを言うというのは難しく、恥ずかしいことになりがちである。

ちなみに数学や化学式には二次元的な表現が見られる。
(だから厳密には発音できない)
そして現代日本語の文学にも線状性を破った表現が少しだけ見られます。

というのがそれだ。

何を言っているのか、自分でも分かりません。

 

-所感

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