ブログ(作るところから)はじめました
- 〈やねうらお〉という人がいる。
人間の棋士とコンピュータ将棋の決着が、まだ完全にはついていない頃、コンピュータと棋士が戦う、〈電王戦〉というイヴェントがあった。
(これは、本当に面白いイヴェントだったので、詳細についてはまた別の機会に書く)
そこに2014年から乗り込んだのがプログラマー〈やねうらお〉だ。
まだ、
「コンピュータが将棋で人間に勝つ」
ということに抵抗がある時代だったし、〈やね〉の方も挑発的な物言いを辞さない人だったから、大いに反発を受けた。
それでも数か月にわたって、毎日のように、将棋やプログラムに関する深い考察をブログに書き連ねる、〈やね〉。最終的に将棋で棋士に勝利し、長い将棋プログラム開発活動をいったん終えるとき、〈やね〉は次の言葉で記事を締めくくったのだった(リンク1)。
「とりあえず、私が提示できるデータはすべて示したし、言いたいことはすべて書いた。
これでこのブログでの将棋関連の記事はいったん終わりとしたい。読んでくださっている将棋ファンの方々、関係者の方々、いままでありがとうございました。
明日からこのブログはボカロブログになります。(←本気)」
最期の一文、何度読んでも気持ちが良い。
将棋理論や、プログラム、アルゴリズムに関する思索を、年単位で語り続けた果てにたどり着いた、
「明日からこのブログはボカロブログになります。」―。
果たして、〈やね〉が掘り出してくる初音ミクか何かの楽曲というのは、どんなものなのだろうか。いや、あるいは〈やね〉自身が初音ミクに歌わせるかもしれない―。
- そしてその次の記事のタイトルが、これである(リンク2)。そう、今回タイトルに使わせてもらったものだ。
《ボカロ(作るところから)はじめました》―。
冒頭にはこう書かれている。
「今日からボカロを始めることにした。
もちろん、ボカロを作るところからだ。
ボカロを含めて音源も自作する。
楽器(ハード)も自作する。
音楽理論も自分で構築しなおす。
自動作曲のためのプログラムも作る。
そうして、やっと自分だけの音楽が完成する。
とりあえず、目標はそこだ。」
この宣言の後、スーパーファミコンのサウンド機構の説明がされ、また、一度プログラミングに嫌気がさした〈やね〉が、また帰ってくるまでの過程も書かれるわけだけれど、やっぱりこのフレーズは熱い。
「今日からボカロを始めることにした。
もちろん、ボカロを作るところからだ」-。
- 私(アカセ)がITエンジニア、プログラマーを目指したのは、30歳くらいの頃だっただろうか。
そこには確実に、〈やね〉たち、電王戦の将棋プログラム開発者の影響がある。
ただ、彼らとは違い、私は何も作れなかった。
「スーパープログラマーでない」
という意味ではない。
本当に何も作れなかったのだ。
かれこれ10年以上各種プログラミング言語の入門書を写すだけの日々が続いている。
VC#でWindowsソフトウェアを作ろうとしては挫折し、Kotlinでスマートフォン用アプリケーションを作ろうとしては失敗し、Pythonで《AtCoder》に挑んでは跳ね返された。
- そんな私が唯一(プログラミングを一応使うもので)作れたのが、今のこれと同じようなブログである。
唯一の成功体験(そのほかに、職場で作ったExcel VBAがある)。
こういう私だからこそ
「プログラミングを独学しているけれど物が作れない」
という人に伝えられることもあって、
「まず、HTMLでウェブサイトを作る。そのうち動的サイトを作る」
というのがよいのではないか。
(それができるようになったらLaravelか何かで、また
「動的サイトを作る」
だろうか)
- プログラミング入門者が入門書を読んでいてどうしても出てしまうのは、
「コンソールに文字が出せるようになった。
計算も、分岐も、繰り返しもできるようになった。
これで何ができるのか」
という率直な感想だ
(特にGUIが前提ではない言語、フレームワークで顕著に出る)。
入門書で、
「何らかの本当に(自分だけのためであっても)実用に足る」
物が作れる人なんておそらく100人に一人もいまい。
また、入門書や入門サイトには、作例が載っているけれど、そのできたものが本当に、
「自分が使える物ができる」
ケースは少なく、どうしてもモティヴェイションが上げづらい。
(“使えるもの”が欲しかったら既存のアプリをダウンロードすればよいのだから)。
その点、“自分のウェブサイト”なら、
「まあ文章は自分で書くんだから、HTMLも自分で書くか」
「HTML書いてると、同じこと何回も書いてばっかりだ」
「自分でデータベースに投稿して、DBから画面に出力できるものでも作るか」
という気になってくるではないか。
- ちょっと話はずれるけれど、私はやはり、自分の育った2000年代のネット文化が一番好きだ。いわゆる“インターネット老人会”でも、そういう話はしょっちゅう出てくる。
みんなが思い出すのは、当時隆盛を極めていた、テキストサイト・個人サイトだろう。
それはつまり、作者が自分でHTMLを書いて、“自分で作った”ものだった。
いわゆる懐古老人のいう、“面白かった時代”のインターネットというのは、様々なプラットフォームに文が書ける今よりも、“作る人”の割合が少し高かったのだ。
あの頃、インターネットは、自分たちの手で“作っていく”ものだった。
当時、インターネットに接続する媒体はほぼPCしかなかった。
今ではスマートフォンでなんでも便利にできるけれど、それでも“作る”ことに関してはPCに一日の長がある。
(もちろんスマートフォンでなんでも作ることはできるし、実際作っている人はいるので、便利さの話だけれど)
当時、すでに、ただインターネットを見るだけだったら、PCはほとんど過剰スペックだったと思う。
PCでネットサーフィンをするというのは、
「“作る道具”に付属の、“見る機能”で色々見ている」
状態だったのだ。
そんな“作る道具”PCを持たないと、昔はインターネットを見ることができなかったわけで、だから自然と“作る人”が集まったのかもしれない。
その後、ブログ文化が出てきた。
ブログは専用サーヴィスを使えば、HTMLもCSSも使わないで書ける。
ただ、メインは“文章”で、やはり“長文”を書く必要があった。
“長文を書く”は広義の“作る”に、ぎりぎり入れることができよう。
- 各種プラットフォームはインターネットを民主化し、今のインターネットユーザーは“作る”とは関係ない。
もちろん今のインターネットだって、きっと面白い
(ただ、私の個人的な好みには合わなくなっているけれど)。
そして、今一番面白い人はたぶん動画サイトにいる、動画を作っている人か、イラスト投稿サイトに、絵を載せている人だろう。あるいは音楽を弾くか、歌うか。
やっぱり、いつの時代も、“自分で作る”過程があるところに、面白さは宿るのだ。
もちろん私がここに長文を書いたからといって、あるいは入門レヴェルのウェブサイトを作ったからといって、決して面白いことができるわけではない。
けれど、それでも何の創造性も、高度な技術もない私も、せめて“作る人”としてインターネットに参加しよう。
- この記事が万が一やねに見つかったら、
「またカスプログラマーが増えた」
と嘆息されてしまうかもしれない。(リンク3)
(それも自分がきっかけで)
「ググられんな、カス」
と罵倒されるかもしれない。(リンク4)
だいたい、〈やね〉が言う“ボカロを作る”と、私の“ブログを作る”はレヴェルが違う。
〈やね〉が未知のものを“創って”いるのに対して、私は買ったノートPCで、レンタルサーヴァー上に、入門レヴェルのサイトを置いているだけだ。
- それでも私にとっては少し難関な、
「自分でブログを作る」
を達成して、私はここに書いている。
これを読んでいるあなたも、きっとどこかで書いてほしい。
特にもしも、プログラミング挫折者なら。
「今日からブログを始めることにした。
もちろん、ブログを作るところからだ。」
- (※以下、付け足し)
〈やねうらお〉の文章の中では私は何と言ってもリンク5が好きである。現代の教育への怒り、数学の美しさ、そして
「自分が死んだところで何も変わらないんだ」
という諦め。ぜひ多くの人に読んでほしい。
- とりあえず、このブログは毎週金曜日に更新する予定です。
2024年04月19日公開
2024年04月20日更新