有名人なんて大して有名じゃない
- 少し前に、誰だったか、アメリカ在住の日本人からの、
「大谷翔平なんかアメリカでは誰も知らない」
という発言が、アンチ野球の人の絶賛と、野球ファンからの囂々の非難を浴びたことがある。
ぼくはどちらかというと野球フアンなので残念なのだが、おそらく、
「大谷翔平なんかアメリカでは誰も知らない」
という言説は、
「横綱照ノ富士や本因坊井山裕太や、世界王者井上尚弥のことだって、知らない人の方が日本には多い」
と同様に、正しい。
- サッカーのJリーグや日本代表で長年活躍した中村憲剛は、
引退後にサッカー普及に関わる仕事をしていたとき、
「今まで自分の周りはサッカーに関心がある人ばっかりだったけれど、
そこから一歩外を出たらサッカーにまったく興味のない人が、
僕が思っている以上にたくさんいた」
と、驚いたという。
「無関心層が想像以上に本当に無関心だった。
"関心がない"とは言っても、少しくらいは知っているだろうと思っていた」
と(リンク1)。
これを聞くとぼくは、
「さすがに中村憲剛は状況の認識が適切で早いのだな」
と感心する。
ほんと、そんなもんなんですよ。
人気競技であるサッカーでもそうなのだから、他の競技なんて推して知るべきで、私は相撲好きの家に育ったから大概の幕内力士の顔と名前が一致したけれど、クラスの女子は横綱大関の名前すら知らなかったし、将棋ブームの今だって、羽生と藤井以外の棋士を知っている人は少数派だろう。
- 昭和戦後に活躍した、俳優の戸浦六宏の息子は、
自分の父が(俳優としては有名でも)、
世間では「無名」で、「あまり知られてはいない」
ということを実感していた(リンク2)。
「大スタアでない地味な役者の有名性なんてそんなものだ」
当時、年長だが現役スタアだった、高倉健を知らない若手女優の話でも、それはありうると言い、
「この国で一般の人が、顔と名前を完全に一致させることの出来る俳優は多く見積もっても50人いないのではないか」
という父の談を思い出しながら、
「僕はもっと少ないのではないかと思う。老若男女と言えばなおさらだし、ましてバラエティ番組等に出るいわばタレント的な仕事はしない、純粋に俳優のみの仕事しかしてない人となるとその数はさらに減るだろう」
と。
- 戸浦に関する記事は
2005(平成17)年のものだから、
TVの影響力が減った今は、
もっと「有名人」の知名度は下がっているはずだ。
〈誰もが知ってるスター俳優〉(あるいは芸人)なんてゼロじゃないか。
ぼくは1990年代に小学生時代を過ごしたのだけれど、別にTVを遮断した家とかではなかったのだが、ドラマやヴァラエティ番組はあまり見ない家庭ではあったので、小6くらいになっても、木村拓哉や〈ダウンタウン〉の顔を、はっきりとは分からなかったような気がする。
今の小学生が堺雅人や〈霜降り明星〉を知っているかといえば
怪しいだろう。
政治家だって、現在“誰もが知っている人物”なんて、内閣総理大臣と東京都知事くらいか。歌手だって、俳優だってそれと大差はない。
「登録者数100万人」なんて、日本人の1%にしかならないんだぞ、ましてや学者や、文筆家や、名バイプレイヤーなんてほとんど誰も知らないんだぞ、と頭の片隅に置いておくべきだ。
- 《Twitter》なんかを見ているとみな物識りなようで、人の
「こんなの常識」
「誰でも知ってる」
という範囲が広い。
(リンク3)は“土星”(惑星)を知らない漫画編集者を馬鹿にする話で、(リンク4)は“マイクロソフト”を知らない人を揶揄するものだが、いやいや、
「そりゃあ知らん人もいるよな」
というところではなかろうか。“常識”“教養”だって、義務教育で習おうがTVで日々説明されようが、誰も知らないと思わなければ。
もちろん、人間、
「自分が知らなくても、みんなは知っているかもしれない」
という謙虚な気持も大切なのだが、どちらかを取れと言われればむしろ
「自分が知っていても、みんなは知らないだろう」
という別の謙虚な気持ちだと思う。
(特に、物識り・知的を心の中で自負している人であれば)
2024年06月07日公開
2024年06月07日更新