大相撲制度改革私案
- 大相撲制度改革案について書こうと思う。
結論は、非常にありふれた意見だけれども。
やはり、同部屋対決が必要だ。
やはり、“番付によるハンディキャップ”なしの総当たり戦化が必要だ。
つまり同部屋対決含めた、番付によるハンディキャップもない総当たり戦化が必要だ。
同部屋対決がなく、同じ幕内で同じ力なら番付が下の者ほど成績が上がりやすい今の大相撲では、優勝も、成績も全く公平に決められない。
同部屋の強い力士どうしの対決が、優勝決定戦以外にはないからつまらない。
理由はそれだけでじゅうぶんだ。
- こう書けば、必ず以下のような反論があるだろう。
「休場者はどうする?必ず休場者が出るから、野球やサッカーのような総当たり戦にはできない」
これに対して、
「全部不戦敗(相手は不戦勝)にすればいい」
という意見もありうるけれど、ぼくの考えは違う。
休場者が出た場合は1場所内で同じ力士と2回闘えばいいのだ。
休場者が出るたびに予定取組が変化する。
“顔ぶれ言上”・“明日の取組”は参考程度とすればいい。
今だって割の組み直しはあるし、千秋楽近くの割は当日まで発表されない。
何らかのアルゴリズムで、
「一場所で同じ力士と二度対戦」
がある状況で公平になるように、機械的に決める方法をとれるだろう。
コロナウイルス感染症で取組が崩壊していたが、あの場所だけでも“1場所内に2回対戦”を実施すればよかったではないか。
今だって優勝決定戦があれば同部屋対決も、一場所で二度対決もある。稽古では同じ相手と何十回と戦っている。
非常に例外的な事例ではあるが、昭和十八年には青葉山と龍王山が、同じ場所で二回戦った。
Jリーグは1シーズンで同じチームどうしが2回対決するし、NPBもMLBも、10回以上対戦する。
「一場所で同じ相手と二度対戦」
も慣れれば何にも感じないのではないか。
むしろ、
「1回目は右上手を狙ったから、今回は突き押しで行くのではないか」
「1回目は変化したが、今回はどうなるだろう」
などと、興味が広がるではないか。
- 「同部屋対決が、伝統に反する」
という人もいるだろう。
しかしそもそも江戸時代、相撲部屋は“自主練仲間”に近い位置付けで、同部屋対決は普通に存在した。その頃はお抱え大名の方が重要で同じ大名お抱えの力士の対決はなかった。
昭和戦後までは一門別総当たりで、今の一門内対決がある大相撲は「伝統に反する」ものだ。
双葉山がもし“角聖”であるならば、69連勝を成し遂げたことではなく、この大英断を実行したことだと思う。
- 貴乃花・若乃花・貴ノ浪が同部屋で並び立っていたころや、武蔵丸・武双山・雅山・出島がいたころに多少あった、同部屋対決実現の機運はもう消えている。
角界の中の人や、いわゆる好角家はほとんどこういった意見を言わないので、これを主張する人は、素人扱いされてしまう。
それでも私は上記の案の大相撲界のほうが絶対に面白いと断言したい。たとえ馬鹿にされたって、
「同部屋含むハンディキャップなしの総当たり戦」
を唱え続けていく。
2024年06月21日公開
2024年06月21日更新