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将棋と囲碁、どちらが面白いか。

  • 将棋と囲碁は、かつての日本ではだいたい似たような位置づけだったらしい。江戸時代に幕府のもとに将棋所と碁所が置かれ、御城将棋・御城碁をやっていたし、昭和になったら各新聞社も将棋と囲碁、どちらも同じようにタイトル戦を開き、紙面で並べてきた。NHKも日曜の午前と午後にそれぞれ講座と大会を放送している。国民栄誉賞も、羽生と井山が同時に貰った。

  • そんな将棋と囲碁の人気は、現在では大差となっている。別に藤井聡太以降のブームで急にそうなったわけではなく、もともと大きな差があったところがさらに差が広がってしまった。
    私の小学校では1990年代半ばに将棋ブームがあり、将棋を指していたが、同世代の友人と囲碁を打ったことは一度もない。
    将棋の
    「駒の動かし方くらいは分かる」
    と言う人は多い一方、囲碁のルールはほとんど理解されていない。

  • 将棋好きの人は囲碁のようなボードゲームはいかにも好きになりそうだし、似たような位置付けの両者だから、
    「囲碁もやってみようか」
    と、一度考えてみた向きも少なくないだろう。そして、おそらく多くはルールか手筋が分かったところで
    「これのどこが面白いんだ」
    という気持ちになり、将棋に帰っていく


  • かく言う私がそうで、現在の私はともに低級者ながら、
    (だから下記の説明はあんまり信用してはいけない)
    将棋と囲碁の面白さの程度は、ほぼ互角
    と思っているけれど、私自身、そう感じられるまでには時間がかかった。
    将棋は10歳くらいでルールを知ってこのかた、ついぞその魅力から離れられないでいるが、囲碁の方は、20歳くらいで入門書を読んで以降、10年以上何の面白さも分からないまま過ごしてきたのだ。

  • だから私には特に将棋好きの人が、
    「囲碁つまんね」
    と感じるその気持ちはよくわかる

    それでも将棋好きは絶対囲碁もはまるはずだからぜひ打ってほしくてこの記事を書いているのだが、囲碁には顕著な特徴があって、囲碁というゲームは、面白くなるまでまるで面白くないのだ。碁って、ほんとに、始めたては何一つ楽しくないの

    何かこれに近いものがあるか、と考えてみると、《ぷよぷよ》が実はこれにあたる。《テトリス》や《ツムツム》は始めて10分で面白さが感じられると思うのだが、《ぷよぷよ》はおそらく連鎖ができるようになるまでは全然面白くない。ちなみに私は1連鎖(2連鎖というのか?)すら意図的に起こせず、したがって《ぷよぷよ》に面白さを感じたことが一度として、ない。

  • 囲碁の話に戻ると、入門書を読み、手筋集を買い、詰碁集を解いてみたりしても、囲碁はあまり面白くならない。いろいろ要因はあるのだけれど、ひとつあげると囲碁と将棋と比べたとき、
    「本を使った一人ゲームの面白さ」
    だと、将棋にだいぶ分がある
    からだ。具体的に言うと、将棋は“詰将棋”がパズルとしてよくできている。
    将棋の最大の魅力は終盤
    「どちらの玉を早く詰ませられるか」
    という、ただ一点に集約されるところにあり、それが自然にゲームになった詰将棋も、やはり単純で面白いゲームになった。
    (もちろん後述するように、将棋は中盤のねじりあいも面白いのだけど)
    囲碁棋士が詰碁の本のコラムに
    「詰将棋にはかなわない」
    というような趣旨で書いているのを何度か読んだことがあるので、まあそれなりに一般的な感想ではあるのだろう。

  • では、いつ囲碁が面白くなるのか。色々あるが、ひとつは“コウ争い”という物が分かったときだと思う。“コウ”ルール自体は入門書をみればすぐ分かる。取ってもすぐには取り返せない、と書いてある通りだ。
    しかし入門書にはコウ争いの面白さが書いていない。入門書に書いてあるのは説明用コウなので、それが伝わらないのだ。
    実際、囲碁棋士は
    コウが囲碁は数倍面白くしている
    と口をそろえるのだが、それが理解されないのだから、数分の一しか伝わっていないことになる。

    (この後2節、あんまり信頼できない技術的な話が続くので、飛ばしてもらって大丈夫です)

  • どういうことかというと、
    そのコウのところを自分の物にするかどうかでその局面が大きく変わる
    というコウがあるわけだ。たとえばそのコウを取れば、周囲の石を全部取れる、と言うコウが。
    そこで賢い入門者の人は、こう思うはずだ。
    「じゃあ取ればいいじゃん。相手はそのコウを取り返せないんだから、埋めればいいじゃん」

    その通り。黒がコウになっているところを取った(1)後、次の手(2)で白が何もせず、たとえば黒がコウの真ん中の穴になった部分を埋めたり、その周りのコウを形作っている白石を取れば、そのコウはもうコウではなくなるので(3)(コウ解消)、その周辺を全部取ることができる。

  • ところが、(2)で、白は確かにコウの場所は取れないのだが、別のところには打てる。そのときに、白は、
    「ここで黒が対応しなければ、私はもっと黒に被害を与えるぞ」
    という場所に打つわけだ(2')(コウ立て、コウ材)。
    それが実際に正しく、コウを取るよりもその対応の方が重要ならば、黒はコウを解消せずに対応するしかない(3')。
    そこで白はコウのところを取る(4')。
    このとき、黒はコウのところは取れなくなってしまう。
    だから黒はまたコウ立てを打つ。
    この応酬が続き、どこかで
    「これはコウ立てに対応するよりも、コウを解消したほうが大きい」
    という判断が下され、コウを取った方がそのまま解消してコウ立てを打った方がコウ立ての方を立て続けに打って、相手を攻撃することになる。
    果たして、コウを解消した判断が正しかったのか、あるいはコウ立てに対抗する必要があったのか。
    どちらが大きい手なのか―

  • そう、囲碁の魅力、それは、コウ争いに限らない、
    どちらが大きい手か
    フリカワリ(ある場所を優先させるために、ある場所を捨てる
    の判断だ。終盤の“玉を詰ませる速度計算”の一点に集約されるのが将棋の最大の魅力だけれど、囲碁の興奮はお互いが可能性を故意に広げていく点にこそある。

    もちろん将棋にも
    「B面攻撃」
    「不利な時には戦線拡大」
    という逆転術があり、これも将棋の魅力の重要な部分になっている。
    だからこそ、特に将棋好きの人に伝えたいのだが、囲碁では常にそのねじりあいが続いている
    「不利な時には戦線拡大」
    「有利な時にも戦線拡大」
    「分からないけどB面攻撃」
    「ならばこちらはC面攻撃」
    「たまにこちらはA面防御」
    「B面放棄でC面攻撃」と―。


    「強者は泥沼で闘う」
    と言ったのは米長邦雄だが、この史上最も魅力的な将棋棋士は、やはり囲碁の愛好者であった。

    この、泥沼の遊戯の―。

  • ……ね、ちょっと面白そうでしょ?

    なお、この囲碁の魅力は19路盤の実戦でこそ発現する。
    初心者が4路盤から始め、7、9、13と、だんだん碁盤を大きくしていくのには合理性があるし、実際練習としても最適なのだが、この、戦線拡大の興奮というのは19路盤でしかほぼ現れないし、書物にもできない。これが先ほど説明した、囲碁入門者の感じるつまらなさの、もうひとつの理由だ。
    だから私は(もちろん小さな盤もいいし、本で勉強するのも大事だけれど、)なるべく早く、誰かと19路盤を打って、この泥沼の快楽に嵌っていってほしいと思う。


  • (以下、つけたり)
    ところで初心者にとって囲碁のルールで意味不明なのはやはりこれであろう。

    「どうなったら地なんだよ」―。

    これが分からないのは当然だ、日本ルールでは。

    実はこの話は簡単で、まあ日本ルールでもやっていれば感覚的に分かるんだけど、理屈で分かりたいのであれば中国ルールでやるとよい。
    本来の囲碁のルールでは、“二眼だけ”になるまで、延々と埋めていい。取れそうな相手の石は全部取ってよい。そして、アゲハマを数えずに、盤面にあるそれぞれの石と、二眼の目を数える。それがその囲碁の点数だとすればよい。差を数えると、ほぼ日本ルールと同じ差になる。

    それでは石が足りなくなってしまうので、
    「明らかに、今からここに相手が入っても全部取れるよね」
    「明らかに、今からこの石が取られずに生きようとしても、取れるよね」
    というところは二眼にまで行かなくても、もう少し埋めずに残しておこう。そしてやはりアゲハマと死石は数えずに、地と石の数、両方を数える。これが現在の中国ルールだ。

    これをさらに数えやすくしたのが日本ルールなのだが、その結果、日本ルールは非常にあいまいでよくわからない物になってしまっている。
    (反面、日本ルールには
    「自陣に手を入れるべきか、入れない方がいいのか」
    というもうひとつの面白さが加わり、そこだけみると日本ルールの方が面白いのだけれど)

  • あと私が不勉強なのもあるのだけれど、基幹棋戦として“順位戦”がある将棋に比べて、囲碁はプロ棋戦の仕組や現状況が少しわかりにくくないか。
    この部分は、ペナントレースとポストシーズンが直列につながり、それが国内戦のすべてである日本プロ野球と、Jリーグがあり、ルヴァンカップがあり、天皇杯があり、ACLがあって、どこがどうつながっているのか難しい、日本プロサッカーの状況に近いかもしれない
    (将棋・囲碁間にはそこまでの差はないが)。
2024年05月10日公開
2024年05月18日更新
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