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映画「セッション」にみる、「成功」と「平凡な幸せ」の難しさ。

投稿日:2018年6月23日 更新日:

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■「セッション」という映画のBDを観た。
アカデミー賞受賞作品だから、知っている人も多いだろう。

(以下、映画の内容を記す)

主人公は名門音楽学校の学生ドラマー、アンドリュー。
その学校のトップのバンドマスターで、
カリスマ的な指導者なのがフレッチャーという人物である。

この映画を簡単に言うと(ほぼ最終盤まで)、
フレッチャーがアンドリューをはじめとするメンバーたちを
これでもかと大声で口汚く罵倒し続ける

という映画である。
そして、その罵声を浴びたアンドリューがドラムを叩き続けるという映画だ。

その練習は次第に狂気を帯びてきて、
アンドリューは血を出した指を氷につけて、撥を振り続ける。
恋人を捨て、プレッシャーが遠因になって交通事故も起こす。

アンドリューの父親は「平凡な人物」だ。
アンドリューを愛しており、
アンドリューの幸せを願い続ける。

しかしアンドリューは、父親のような人物を目指してはいない。
アンドリューが目指すのは歴史に残るような偉大なドラマー、スーパースターだ。

そしてアンドリューを偉大なドラマーにするために、
フレッチャーはアンドリューを罵倒しつづける。(*1)

 

■僕がこれを観て感じたのは、
「やっぱり”成功”に向かうための努力と、平凡な幸せって
ほとんど両立はできないんだな」
ってことだった。

芸術でも、スポーツでも、学問でも、どんな分野でも、
一握りのトップ層になる人間は、その分野に狂気じみて没頭し、
朝から晩まで練習/研究/勉強しなければならないのである。

 

■本人が楽しく続けられれば一番だと人は言う。

しかしその場合でも、その「楽しさ」は、
当然中毒性を帯びたものになり、他人から見たら狂気じみて見えるはずだ。
たぶん「楽しんでる」ようには見えない。

そして、多くの場合、どこかで苦しみがあり、我慢があり、ほかの幸せを犠牲にしなければ
「成功」はできないのだ。

休息は摂るだろうが、それすらも「次の練習のために」、という感じになるだろう。
結果として友人をなくし、恋人を捨て、結果他人を蹴落とすこともあるだろう。
家族はともかく、友人や恋人と過ごす時間は、
ほとんどの場合、「目指すもの」と同じ方向に向かっているわけじゃない。

「目指すもの」に一直線で向かうことを最善とするなら、
それは「邪魔」になるに決まっている。

 

■かつて、息子三人を灘高から東大理科III類に入れた母親(佐藤亮子)が、
「恋愛は受験の無駄」
と言って非難されたことがあった。

僕は、その母親の目指す方向には全く共感できない(*2)が、
上記発言自体には「そりゃそうだよな」としか思わなかった。

なにかを目指すときに、その「なにか」以外のほぼすべてのもの無駄である。

稀に「別の道が役に立った」こともあるが、それは偶然でしかない。

劇中のアンドリューも恋人を捨てた。
やっぱり、恋愛が「成功」の準備のための時間を奪うと考えたからだ。

 

■ひとつ注意が必要なのは、「努力」が行き過ぎると、
確実に人の心を壊すということが知られてきたところだろう。

壊れてしまったら最悪の場合、自殺だってありうるし、
そうでなくても完治には時間がかかる。

コーチや上司という立場なら、他者のそういったリスクを大きく増やすのは、
(たとえ最終的なやるやらないの選択権は本人にあったとしても)
許される物ではあるまい。

「セッション」の話に戻ると、序中盤で、僕は、
「先進国アメリカにもこんなパワハラ的なシゴキがあったんだ!」
とびっくりしたし、中終盤では
「やっぱりな…」
という展開になっている。

(勉強の場合はほかの分野に比べ、
とりあえずリスクが少なそうだったり、
分野によってリスクの違いはありそうだ)

 

■そしてもう一つ難しいのは、多くの場合、「幸せ」と「成功」というのはまた別で、
友人や恋人と仲良くすれば大体の場合「成功」からは遠ざかるけど、
「幸せ」はその辺にあることも多いということだろう。

放課後に友達と話し、女の子にメールし、彼女を作る。
漫画や映画やTVやネットをそこそこ見る。

それらは人を「成功」から遠ざけるが、
「それなりの幸せ」には近づけてるのかもしれない。

 

■多くの場合、「努力」の結果「成功」を得られた人物は、
平凡な人物よりも金銭や地位を与えられる。
教育だって、ある程度それを目指すように作られている。

僕もそのシステムを否定しない。
むしろ当然そうあるべきだろうと思う。

若者は、必ず、「成功」を目指す。

しかし、では「平凡」というものの価値は低いのか。
アンドリューの父親は、フレッチャーよりも価値が劣るのか。

本稿の結論は特に用意していないのだが、
「平凡」な幸せというのは「成功」と比べた場合に
どう位置づけられるのか、というのはなかなか考えさせるところだと思う。

何を言っているのか、自分でも分かりません。

 

(*1) 実は映画の最終盤まで観ると、
まあいろいろあって、
必ずしも上に書いたような流れでもないのだが、
ここでは序中盤までの流れを記した。

 

(*2) 勉強でトップを目指しのはいい。
東大を目指すのもいいとしよう。
しかし理IIIじゃなきゃいけない理由がわからんのだ。

(以下は多くの人が言っていることだと思うのだが、)

専攻は関心や目標によって決めるもので、
医学をやりたいわけじゃない人が理IIIを目指してもしかたがない。

もちろん別に理IIIから医学部に行かなくてもよいし、
理IIIに受かる人は大学入学後も勉強すれば何学部でもいけると思うが、
そうするのであれば、最初からやりたい分野を狙ったほうがよいと思うぞ。

仮に医者というところまで親が決めているのであれば、
それがよいことだとは私にはとても思えない。

(ただし、佐藤亮子の勉強指導法の技術的な部分は基本的に正しいとは思っている)

-所感, 映画

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